Center:2006年3月ー引きこもりの社会参加への準備と時間
(→引きこもりの社会参加への準備と時間) |
|||
32行: | 32行: | ||
[[Category:不登校情報センター・五十田猛・論文とエッセイ|2006年03月]] | [[Category:不登校情報センター・五十田猛・論文とエッセイ|2006年03月]] | ||
− |
2018年12月30日 (日) 09:31時点における最新版
引きこもりの社会参加への準備と時間
〔静岡県立大学国際関係学部・津富宏先生への手紙です。タイトル「引きこもりの社会参加への準備と時間」は掲載時につけました。〕
拝啓、はじめて連絡させていただきます。
全商連の『中小商工業研究』第86号を送っていただき、連絡をとりたくなったのです。
私は不登校情報センターという、引きこもり経験者に囲まれて生活し、彼(女)らの社会参加のための仕事場づくりをめざしています。
一方「情報センター」として、支援団体の状況を調査し、それを提供する活動もしています。
第86号はその意味で参考になりました。
「ニート支援に関する“?”」も貴重なものです。
私は「ニート支援者のなかには気長に本人の変化を待つ」部類だと思います。
(*)ニート⇒「引きこもり、ですが」
私が納得できる表現にすれば、引きこもりの現状は、対人関係づくりが第一の目的になります。
その心理的条件を育てるのに20代後半以上のばあいは2~4年はかかります(それ以前にすでに数年の取り組みを個人&家族としていることもあります)。
その後で、社会参加(必ずしも就業ではありません)に要する時間が、対人関係づくり以上の時間を要します。
人によっては、その人が仕事につける場がないということで(この数年間は一般的には就職難のこともあり)さらに困難になっています。
私は、“自分に可能な範囲で”仕事おこし、仕事場づくりを彼(女)らと共に取り組まざるを得なかったのはこの背景があります。
その未来はたぶん、SOHOの複合したものになると思います。
なぜそんなに時間がかかるのか。
これについては最近その観察から感じている様子を文章化しましたので同封します。
彼らの自己否定感は、乳幼児期の存在としての安定してこなかったことに由来する、根の深いものが、そのまま思春期を超え、20代に入り、30代に入っていると見えるからです。
これは引きこもりを「病的原因を主な理由にしない」と定義づけたとしても、変わらないと思います。
病気に診断される人もいるし、診断されない人もいる、それによってある程度の深さの違いはあっても、診断する医師の差であったり、医療機関に行くときの本人の調子の差であったりすることもあるからです。
もう一つ「雇用主による就労支援――静岡方式」は具体的な取り組みです。
ちょうど、同封のチラシ「引きこもり・ニート支援団体の情報提供の場」を計画しています。
もし、青少年就労支援ネットワーク静岡に関係する団体・事業者で、ご協力いただける方がいましたら、参画をお願いしたいのです。
ご検討いただければさいわいです。
謹言 2006年3月25日