Center:2005年2月ー「見捨てられ恐怖」と依存/自立」
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「見捨てられ恐怖」と依存/自立
〔2005年2月26日〕
「登校拒否も許されなかった」という人
「登校拒否ができた人がうらやましい」「私には登校拒否も許されなかった」「どうして高校を退学できなかったのだろう、それが悔しい」
…などという人がいます。
登校拒否(不登校)というのは、子どもがそのおかれた環境条件のなかで、意識的にか無意識的にかにかかわらず、何かから自分を守り、支え、
その条件のなかで成長する道筋を探そうとするものです。
多くのばあい、自分の意志、選択という判断はなく、むしろ学校に行きたいと願いながら、それとは逆に結果として学校に行けないものです。
それは意識下の作用、意識を超えた条件反応のように思えます。
登校拒否がそういうものならば「私には登校拒否も許されなかった」というのはどういうことなのでしょうか。
学校へは行けない、行きたくない、行かないほうがいい、行けば苦しくなる、体調不良になる…
がわかっていながら「ともかく学校には行っていた」ことになります。
論理としては「それは程度が軽い」か「意志の力が強くてその苦境を意志で乗りこえた」ということになります。
1~2年前まで私はほとんどこのように理解してきたのです。
「見捨てられ」恐怖
しかし、必ずしもそうではない事情がわかりました。
家族(家庭)における専制支配の極致とでもいうべき背景の存在です。
「見 捨てる」という言葉を小さなころから親に言われ続けてきた人がいます。
親が子どもに「見捨てる」という言葉をつかうとき、私はそこに現実的に切迫した内容 があるとは思っていなかったのです。
なかば冗談であり、いわば親がうまい説得方法をみつけることができないので、とっさに一時的に言うだけのものと考えてきたのです。
子どもから「じゃ見捨ててよ」とか「見捨てられてもいいもん」という言葉を返されたら、
逆に親が立往生してしまう図さえ思い浮かべてしまいます。
しかし、このような例ばかりではなかったのです。
子どもに対して親から「見捨てる」という言葉が、小さなころからくり返し使われていると冗談や一時的なことではすまされなくなります。
子どもにとって、自分の意志にそぐわないときに親からこの「見捨てる」という言葉が使われると、二者択一で迫ってくるものになります。
見捨てられ恐怖のなかで、意志にそぐわない親の指示に従うことになります。
親からの「見捨てる」という言葉は、強制的、絶対的に子どもを親の指示にしむける手段になっています。
このときの親の姿勢は、子どもの芽をみつけて伸ばすのとはまるっきり反対方向にあります。
せめて、子どもに何かを勧めるときに、その理由を説明し、納得のもとにしむけるというのであればいいのですが、
それもなく「見捨てる」という言葉が出てくると、子どもには恐怖が出てきます。
この脈絡のなかで「私には登校拒否さえも許されなかった」 という言葉をきくと、
前に書いた「それは程度が軽い」とか「意志の力が強くて…」という理解ではすまされなくなります。
子どもは自分の本心を押し殺して不 本意な道を進まされることになります。
それが頻繁にくり返されることは、子どもへの虐待の領域に近づき、もしかしたら虐待の一種になっているのではないでしょうか。
「見捨てられ恐怖」の回避としての依存
「見捨てられ 恐怖」になった人にとって、この「見捨てられ」を回避しようとする言動が先行しやすくなります。
それは無意識のうちに、身についたようにそうなります。
どうすれば見捨てられないのかが自然な感情として表れるとき、その1つが依存なのです。
そのような依存が表現できなかったり、依存を阻まれるときに、「見捨てられ恐怖」、見捨てられ感がわいてくるのでしょう。
「見捨てられ感」は、不登校や引きこも りへの対応現場では依存状態の反対面としてみられるものです。
対応者(対応機関)から提起されるのは、不登校や引きこもりの人が依存的であり、それをなく すことが改善に思えます。
依存しやすい子どもや依存の強い青年がかかえる問題状況としてとらえられるのです。
それは自立に向かう過程にとって、その足枷としてみられるのです。
「見捨てられ恐怖」は、それ自体を取り上げて考えられるよりも、「依存」の影に隠れた要素になり、見すごされやすいのです。
対応の順序としても、より本質的にも、「依存」よりも「見捨てられ恐怖」から始めなくてはなりません。
「見捨てられ恐怖」の強い人とは、いわば虐待かそれに近い攻撃を受け、心を深く傷つけられた人です。
「依存」よりも「見捨てられ恐怖」に焦点を当てて対応することが求められます。
子どもが「依存」を表現する言動は、このように見てくるとより積極的な意味をもちます。
自立に対向するものではなく、「見捨てられ恐怖」への対向としての「依存」です。
私にはそこでは「依存」は克服する対象ではなく、周囲のサポート役からは受け入れる対象と考えられるのです。
家族(父母)にとっての依存の受け入れ
私はこのような依存言動を基本的に受けとめ、支えられるのは第一義的には家族(父母)であると思います。
父母(とくに母親)への依存は、"甘え"や"まとわりつき"として表れます。
子どもから親に求める長時間の接触、そばにいて欲しいという心身からにじみ出る懇願、子ども返りとして表れます。
それにつきあうことはたいへんなことです。
しかし、母親がそのような気持ちになれれば子どもには環境条件が改善できたことになります。
父母がこのように思い至ったとき、相談相手である私が伝える内容はあれこれの小さな方法ではないでしょう。
「精神的、肉体的に耐えられる限界まで、社会生活上支障のない極限まで、子どもにつきあってほしい」というものになります。
もちろん間断なく一緒にいるというのではありませんが、断続的に子どもと同じところにいることはさけられないでしょう。
母親が一人で対応するには相当なエネルギーと粘りを必要とします。
できれば父親もそれに加わり、母親を支える側になってほしいと思います。
私はそれが親の愛情表現のしかただと思えます。
これにも限度はあります。
限度はあっても父母がこのように対応できれば、子どもは依存飢餓を満たし、
子ども時代に恵まれなかった愛情を感じることができるでしょう。
子ども時代とは同じではありませんが、それを相応に補っていけるようには思います。
自分で自分を育てる
父母にこのような受入れ環境ができない人は、より困難な道を進むしかなくなります。
あいかわらず父母からの「見捨てる」言動が続いている人もいるでしょう。
比較的程度は軽くても、「理解される」にはまだまだという人もいるでしょう。
程度はさまざまです。
いずれのばあいであっても、「自分で自分を育てる」ための努力と工夫を、それぞれの人のペースで重ねていくことになります。
ある種の修行となるような気がします。
そういうとき力になるのは信頼できる人の存在です。
カウンセラーがそのような信頼関係をとれる人であれば、自分で自分を育てる面が少し楽になるでしょう。
自分で自分を認める、肯定する、受けとめる要素がつくられていくことになります。
それは親子関係のなかに育つ、愛情の擬似的再現に近づくことかもしれません。