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お答え:周りに合わせられない自分があることー島田邦子

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2017年1月6日 (金) 10:22時点における版

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周りに合わせられない自分があること

〔質問001〕不登校、引きこもりに共通する強さや能力は?
不登校・引きこもりにわりと共通する特殊な強さや能力はありますか。

〔お答え001〕周りに合わせられない自分があること
引きこもりの当事者であり、現在は一児の娘の母であり、仕事はメイクレッスンや色を使ったカラーセラピーの職や、パーソナルスタイリングを個人で自営しながら、ときどき短時間のパートもしています。
自分なりに、不登校、引きこもりのもつ能力や強さを武器に生きてきました。
私の例はほんの一部なので、一般論ではないかもしれません。
ご参考になればという思いと、不登校、引きこもりに悩む方々のエールを込めて恐縮ですが、意見を書かせていただきます。
自分を含め、不登校、引きこもりの方々の特徴は、「自分がある」ということです。
本来であれば、周りに浮かないように自分を無理させながら、どこかで自分を押し殺しながらも、無難な人生を選択するほうが、どれだけ簡単に生きれるか知れません。
それができないということが、まず特徴だと思います。
自分の中で、社会や集団の中での正当な違和感に、きちんと反応できている能力を持っているので、表面上は我がままと受け取られたり、皆と同じでないとマイナスに捉えられやすいのが、現状です。
私の場合は、常に独自の考えがあり、それを人前で見せたり、表現すると、社会や集団、職場に存在しにくいのだなぁと感じてきました。
どんな状況であれ、最後には自分の考えを貫きたい性質でもありますので、その個性を個人で進めていく… 自分の手で、自分の信じる花を咲かせられる可能性と強さを秘めていると思います。
いまはいくつかの職業をもっていますが、私が子どもの頃は、いま手にしている仕事の存在すら、ありませんでした。
両親は心配してくれて、安定した仕事について欲しいと願ってくれていました。
自分の好きな趣味や得意なことを、家でやっていても、どこかで無駄な時間だと家族は考えていると感じてきました。
若い頃の自分は引きこもりながら、無駄な時間を過ごして消費ばかりしているダメ人間だと、自分を責め続けていました。
自分を責めると、生きる気力が体から抜け、悩みの渦の中でただ混乱してしまいます。
うつ病も7年以上経験しました。
どこかで認めてくれる人を求めながら、なんとか生きてきました。
自分を責めると調子が悪くなるならば、自分の味方は自分だと開き直り、職業のスキルは独学で勉強して、自分が得意なことを活かして、不得意な人々のためにやってあげること…それが、結果的に仕事に繋がってきています。
その道の学校を出た人と肩を並べて、仕事をさせていただきながら感じるのは、やっぱり独学ならではの感性があるということです。
私の先生は、毎日に触れる書物であり日常生活なので、テレビや映画を見ている時でさえ、独学のスイッチが入っていて、何かのヒントや吸収をしていきたいと思ってしまいます。
実際、専門の学校で習うことを、アルバイト見習いでスキルを身に付けたり、王道からを歩まれた方々とは少し違っています。
そこを評価してくれる方も少しずつ増えてきています。
王道ではなかった分、自分なりに背負った負い目が、結果的に強さや能力に繋がっていると思えます。
どんな分野でも、物事の本質は根底で共通する部分があり、生きることすべてが、無駄ではないと感じれることが、私たちの強さでもあると思います。
時代や社会は(こんな私たち引きこもり体質が、なかなか楽しくは生きれないという)残酷な面もあります。
むしろいまの時代は、好きなことを仕事にしている方々が成功している例もでてきている… そんな状況なのだと思えます。
冒頭で述べました「自分がある」そのこだわりを、人のために役立つまで続けようと思えたら、人生が意味ある時間へと変わるような気がします。
王道の方々に対し、何の後ろ楯も根拠もない自分の立場を、疑ってしまうのは簡単にできます。
私も以前は、他人と比べてビクビクしてきました。
他人と比べた先には、体から生きる力が抜けて、目の前に底無しに拡がる闇だけだと気づき、無駄な時間とはサヨナラしようと決断しました。
そしてその決断は、毎日の瞬間でもするように努力しています。
できない日には、落ち込んだり、失敗ばかりでお手本のない人生に怨み言の一つ二つ言いたくなる時も、いまだにあります。
そんな時期をどう乗り越えるのか… 越えた後には、意外にも仕事で人々に使えることを手にしていることも、少なくありません。
背負ったものが、辛いけれども、強さや能力になっていると、後から気がつくことばかりです。
自分を大切に生きることが、課題です。
その先には、他人を大切にするために、自分自身を活かすという課題が待っています。

回答者と所属団体
パシュパラ島田 邦子


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