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精神病理の局在を脳・神経系以外の心臓・内臓系におく

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(精神病理の局在を脳・神経系以外の心臓・内臓系におくー1の6)
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2015年10月16日 (金) 21:18時点における版

精神病理の局在を脳・神経系以外の心臓・内臓系におくー1の6

(2014年9月19日)
ここでちょっと脱線します。
すでに何かがわかっているのではありません。
説明したいのにうまく説明ができないところに何かがあると感じ、そこを摘出する感じです。
『東洋医学』(大塚恭男、岩波新書,1996年)のなかの説明です。2点あります。

(1)「東洋医学には科学になじまない要素があり、また、それゆえにこそ高度の西洋医学の世界のなかで命脈を保っていることができるともいえる。
薬用量の問題にしても、生薬と方剤にしても、脈診と腹診にしても、科学の力でかんたんに解決のつくものではあるまい。
また、それ以上にむずかしいのは、いわゆる証の問題である。
性急な科学的解明をおこなえば、似て非なるものをつかまえるという可能性は大きい。
東洋医学そのものをこわさないように、根気よくその本質の解明にせまることが必要であろう」(48-49ページ)。
これは従来の医学、解剖学や病理学とは異なる身体科学の予感ともいえるし、誘導源かもしれません。
私は東洋医学における経絡の解明もここに含めていただきたいと思っています。

(2)「病気の本態がどこにあるかということに関連して、病気の局在論的な考え方が『春秋左氏伝』に見られる。
ぜったいに治らない病気のばあい、「病は肓の上、膏の下にある」といい、いまでも「病膏肓に入る」ということがいわれる。
膏は心臓、肓は横隔膜のことであり、この両者のあいだに病気が入りこんでしまうと治らないという意味である。
西洋の古代にもこれに似た考えがある。
心臓はもとより、横隔膜(フレニー)にも精神の座としての考えがあり、現在でもシゾフレニー、パラフレニーなどの用語にこの痕跡をみることができる。
このように古代中国と西洋の古代は、病気の考え方がひじょうに似た点もあるということである」(55ページ)。
「病膏肓に入る」は高校時代の漢文の授業で福田先生が「やまいこうもうにいる」と間違って流布されているが正しくは「やまいこうこうにいる」と、強調していたのを思い出しました。
これはごく個人的な思い出です。
シゾフレニーは統合失調症であり、パラフレニーはたぶん偏執性痴呆と訳されるのでしょう。
注目したいのは「心臓はもとより、横隔膜(フレニー)にも精神の座としての考え」です。
人間の精神現象を脳・神経系ではなく、心臓・内臓系においています。それは診断名との間に整合性が感じられます。
そこに何かひらめくものを感じたのです。
古い本ですが『性格』(宮城音弥、岩波新書、1960年)のなかで、統合失調症(当時は精神分裂病といわれた)は「脳の変化は現在のところ不明である」(10ページ)と、解剖学的な様子を書いています。
1983年に発行された『南山堂 医学大辞典』の精神分裂症の項目でも「根本病理は今なお明らかでなく概念の境界を定め難い」(1151ページ)とされています。

ここでテーマを改め周辺のいろいろな面をさまようことになります。
(2)の面に深入りすれば(1)の面に近づけるのではないか…と。

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