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自宅警備員?

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2024年7月13日 (土) 18:11時点における最新版

自宅警備員?

「自宅警備員」という言葉があるらしいです。
ほかにも、「一級在宅士」や「代表戸締役社長」、「内交官」などをある意味自虐的に名乗っている人もいるということです。
でも、「これらの人ってひきこもっているという状態でも、ちゃんと現状では家族の役に立っているのではないか」とふと思うことがあります。
「自宅警備員」? 以前娘が一時ひきこもっていた頃のこと、確かに外出するとき、今ほど留守の心配をせずに出かけていたことを思い出します。
そして今年齢も重ね、自分の生活が以前のように思ったことをそのまま100パーセント行動にできる年齢ではなくなってきていると、自宅に誰かが一緒にいてくれるということに何か安心感のようなものがあると感じるのは私だけでしょうか?
過去の相談者の方のお話の中でも、同居の親の介護や見取りを引きこもっている子どもが手伝ってくれ、「本当にこの子がいてくれてよかった」と感謝の言葉を述べていた方が何人かいらっしゃいました。
彼らはおおむね外の人間関係やめまぐるしい社会の荒波に対応するには優しすぎてナーバスな人たち。
だからこそ誰よりも身近な人の困りごとにそっと手を差し伸べることのできる人なのかもしれません。
少し前まで、、、、(今もそうかもしれませんが)私たち親は自分たちの歩んできた道の中での考えから、「少しでも良い学校に入って良い会社に勤める!」ということを子どもたちの唯一の幸せと考えてきていたのではないかと感じます。
そう、私たちは「雇用される社会」に生きてきました。
でも、時代は変わり、今まで当たり前にあった職業がどんどんなくなり、会社での人間関係や激務から立ち止まってしまっている社会人がどんどん増えてしまっています。
ここで、視点を変えてこの先の社会全体の困りごととして考えてみましょう。
私たちがこの先自分ごととして迎えざるを得ない「高齢化社会」。
そんな時代にどんどん突き進んでいきます。
そして介護の担い手の問題が自分ごととして大きくなってきています。
そんな社会の困りごとに彼ら「自宅警備員?」が一石を投じてくれるのではないかとも、最近とみに感じるのです。
見る角度を変えてみてみると、家にいる彼らはある意味大きな社会資源となりうるのではないのか?
これからの社会で必要な人材の宝庫として考えられないのか?
私たち家族単位として考えたとき、彼らがいてくれることのありがたさを感じることが、実は次の社会にとっての何かの一歩にならないのかと感じる今日この頃なのです。

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