Center:1999年12月ー子どもの状況とフリースクールの取り組み
1999年12月―子どもの状況とフリースクールの取り組み
『[新版]不登校・中退生のためのスクールガイド』(東京学参、1999年12月)の「まえがき」
*タイトルと小見出しは〔2011年8月16日〕のネットへの掲載時につけたものです。
(1)子どもの“暴力化”の背景
3年ぶりに、新版を発行することになりました。
この3年間にも子どもと教育をめぐる状況は大きく揺れ動いてきたように思います。
最も衝撃的な出来事は、神戸における少年の殺人事件だと思います。
18歳未満の少年の出来事としては、戦後で最もショックなことかもしれません。
そのほかの出来事もあわせて、この3年間に子どもの暴力化や凶悪化が指摘されています。
しかし、子どもと若者の全体の様子を述べるとすれば、むしろ元気をなくしている、おとなしく内向的になっている、と言うほうが基本的な状況ではないでしょか。
そしてそのことと、暴力的傾向、あるいは教育現場における学級崩壊といわれる事態の発生には、共通する基盤があるように思います。
一言でいえば、子どもが子どもらしく生活する環境が奪われていることです。
子ども時代の喪失です。
子どもらしい失敗や脱線が、子ども世界と周囲に大人のなかで、温かく見守られる雰囲気が著しく低下しています。
子どもたちは、間違いないこと、よい子であることが、遠回しに強制されています。
出る杭になることを大人のようの注意深く押し隠す気分にさせられています。
このようなソフトな抑圧は社会全体に覆いかぶさっていますが、子どもが関わっているところからその状態は暴露されます。
子どもが社会の鏡であるとはその面をもついています。
子どもはそれを口にします。
行動、行為で表現します。
抑うつが、何かのきっかけで炸裂して事件になっていまいます。
それが子どもと若者の暴力化、凶悪化といわれることです。
子どもと若者の気持ちや行動のなかでは、平穏に見える外形の下で、このような事態が蓄積しているのではないでしょうか。
その状態が3年間にも一歩進んでしまったように思えるのです。
子どもには、子どもらしく生きる自由が必要です。
子ども同士の遊びは、そのなかでも特に重要だと思います。
人間、霊長類ヒト科の動物は、単独(個体)で生きていくことはできません。
親と子がその人間の関係を学ぶ第一歩とすれば、子どもと子どもの関係は、次のステップでの人間学習です。
子ども時代の遊びこそ、欠かすことのできない人間学習の方法です。
遊びは人間に関する最も基礎的な知識、情報を与えてくれます。
理科「ヒト」単元で学ぶレベルの情報量など、およそ問題にはなりません。
遊びは学習であり、その教材は友達であり、自分自身である。
自分が教材でありながら友達を教材として学ぶのです。
遊びは学習という面からみても最良のソフトウェアです。
遊びの衰退は、子どもの最大の損失であり、子どもが子ども時代を失っていることを象徴しています。
それは学齢期における系統的な教科学習を、実感の乏しい知識の積み上げにしてしまっています。
それは子どもが成長する過程をひ弱にするとともに、若者として成長したときの人間関係を不安定にしています。
今日の子どもと若者の状況は、それがある程度広がっていることを表しています。
午後3時ごろから夕方の6時ころまで、子どもたちが、路地や広場や野や川辺で、土によごれ、水にぬれ、すり傷に気づかないほど夢中になっているような遊びを回復したいものです。
それは私が子どものころには実際にあったものです。
このごろはめったにそういう情景に出会いません。
午後のこの情景をとりもどせないだろうか・・・。
子どもが子ども時代を取り戻すこととは、私にはそのようなことに思えるのです。
(2)フリースクール活動の特色
今回の『スクールガイド』には、前回の2倍を大幅に上回るスクール(教室)の情報がよせられました。
子どもと若者の状況に対する社会の対応もそれなりに高まっていることが、背景にあると感じられるのです。
スクール情報では、次のようなことが各スクールで追求されているように思います。
(1)子どもの自発性、自主選択性を生かせるように工夫している。
(2)子どもの個性、持ち味を引き出せる場面をつくる。
(3)キャンプや遊びなどの動きを通じて子ども同士がぶつかり合う場面(それこそ本当の人間学習)どうつくり出そうとするのか。
(4)社会見学や自然体験など、知識として覚えることよりも、五感・実感を通して情報入手する方法。
(5)そして子どもと教師・指導員の関係を子どもの側を主役にしたものにする努力―など。
これらは、今日の学校教育から少しずつ削られていき、ふと気づいてみればその空白の大きさに驚くほどのものです。
それらが各スクール(教室)のそれぞれの条件、理解のしかた、方法において追求されています。
子どもと若者の状況を根底から変えていこうとする動きは、これらフリースクールを中心とする不登校生・中退者への対応だけにあるわけではありません。
一部の学校、児童福祉施設、青少年団体、父母や教師の取り組みなどにもあります。
今回のこの本では、不登校生や高校中退者を積極的に受け入れようとしている、各スクール(教室)の情報提供という形で、その一面を見ることができたように思います。
これらの動向のなかに、子どもと教育に必要なことが集中しています。
それらをいわば自然科学的な態度で分析していけば、真の中心点をつきとめられるでしょう。
私の言う「遊びの重視」が大事というのは、その一つの仮設に当たります。
不登校情報センターでは、不登校生、高校中退者(と学校)を中心とする子どもと若者をサポートするグループ機関の情報を、総合的、継続的に集めています。
心当たりの情報をご連絡いただければ幸いです。