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アスペルガー障害に関して②
〔2010年07月19日〕
私はアスペルガー気質でありますが、アスペルガー障害とはいえないようです。
気質とは先天的なもので、人は誰でも生まれながらのある傾向、偏りをもつものです。
これが後天的な生育過程のなかで個性として発現していきます。
生育過程において、成長を妨げる重大な出来事があると成長の停滞、またはゆがみを招きます。
偏りとゆがみは似たところもありますが、ここでは程度の問題としておきます。
一般に、対人関係、学業、就業、社会生活をしていくのに重大な支障をきたす程度の発達の停滞やゆがみ状態を障害といいます。
この意味で発達障害者は障害者に生まれるのではなく、後天的に障害者になるのです。
アスペルガー気質は内向的であり成育過程で対人関係をつくりづらいのですが、自動的に多数がそうなるのではありません。
たぶんに成育過程の社会的風土や環境の影響を受けます。
1970年以降の日本は子どもが子ども時代を過ごせる状況が難しくなりました。
とりわけ対人関係において内向的な子どもは子ども同士の関係が希薄になります。
それが障害レベルをつくりやすくしました。
山崎晃資教授の話で2つめに教えられたことは自閉症と発達障害の診断ないしは認識の発展です。
はじめ両者は別の診断名でした。
経過は省略しますが、現在は「自閉症スペクトラム(障害)」というとらえ方が有力になりました。
それでも「ほかに分類されない広汎性発達障害」など、状態を確定的にできない部分があります。
いろいろな検討・研究の余地があるのですが、それは医師が(医学的視点から見れば)わかる、対応できるというものではありません。
自閉症スペクタラム障害についても同じで、単に生物学的(医学的)診断でなく、
心理学的、社会的(環境、人間関係、入院・入所)からも評価しなくてはなりません。
医師の評価はそのうちのひとつです、と山崎教授は言いました。
かつて医看対等という、医師と看護師の対等性とチームワーク医療の考え方を習ったことがありますが、それを思い出しました。
いまはより多くの関係者の視点、評価、対応を精神科医療は取り入れる必要性があるのです。
6月3日の「発達障害と精神疾患②」に、最近の精神科医療の取り組み状況を次のように書きました。
ここにつながります。
「いくつかの精神科医療機関から受診中の人が不登校情報センターに関わるように紹介されてきています。
これは“自傷他害”的ではない精神障害者を院内ではなく地域で生活することで回復を図る精神科医療の動きに沿ったものです。
私はこの動きを肯定的に見て、それに相応する精神疾患の受け入れを認めています。
一般的には支障はないし、ときには精神疾患のある人が引きこもり経験者を精神的に助けることもあります。その逆もあります。
他害的とはいえない互いに傷つけあう関係も生まれます。人が関わりを持つとはそういうことです。
そうして違い認め、自分はこれでいいと感じるようになる、それが人間の成長です。
フリースペースとはそういう場です」。
また今年に入り出版された『小児科臨床ピクシス 不登校・いじめ』という本の「不登校の予後」の部分を私は執筆しました。
原稿依頼のときに「純粋に医学的な内容ではなく社会学的なものも必要になっています」と言われました。
これも山崎教授の話と軌を一にしています。
Tさんは、私に精神科受診を勧めています。
受診すれば魔術のごとく何かがほどけるとは感じていないはずです。
精神科受診をすべて拒否するのではありませんが、状態・症状がはっきりしないのでは医師は何ごともつかめません。
診断フォーミュレーションにおいて「なぜこの時点で来院したのか」が空白です。
むかし働いていた医療機関でカルテに「精神科的に異常なし」をときどき見ましたが、もしかしたら「なぜこの時点で」がはっきりしていなかったのかもしれません。
精神科医療では「病名をつけること(診断分類)」もシンプルではなく、それさえ平均的には回数・時間のかかるものです。
それよりも日常生活で接触する人(専門家もいます)との関係において自分の気質や性格特性を知ることが実際的です。
その性格特性を否定するのではなく、どう生かしていくのかを考えていくのです。
それでもあるレベル以上の異変を感じたら精神科受診の必要が出てくるかもしれません。
Tさんの要望は、この事情も関わって応じられないとしておきます。
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