閉じこもり状態の人への接触する機会をつくる
閉じこもり状態の人への接触する機会をつくる
日曜日8日の「大人の引きこもりを考える教室」では、家族からきく引きこもり当事者の状況に種類と段階を感じました。
多くの人の例を引けばさらに細かくなります。
1、家族ともほとんど話がなく外出しない人。
2、家族との会話は少ないけれども外出はそこそこしている人。
3、一人住まいになり外出はするが特定の人や場には行っていない人。
4、家族とは通常の話はしているが外の人や場には特につながりのない人。
5、特定の場所には通っているが家族とは日常の話以外はできない人。
6、一人住まいで働けるようになっているが経済的な自立にはまだ心配のある人。
要約的に分けるとこうなり、各タイプの引きこもり状態について話しました。だいたいが30代以上の男性です。
各人それぞれのテーマを明確にし、さしあたりの対応方法を考えあう、学びあうのがこの教室です。
派遣型の就労などをしている引きこもり経験者なども加わり内容のある場になりました。
ここでは最初の「家族ともほとんど話がなく外出しない人」の人が引きこもりの状態、閉じこもり状態といっていいのですが、それについて紹介します。
この人はこれまでの経験の中で嫌な体験をし、その思いから強い人間不信、対人恐怖になっていると推測できます。
そうであると受けとめるスタンスが必要です。
その体験していることを軽く見ては何も始まらないでしょう。
人と接触することはそれだけで恐怖がありストレスです。
医療者に出会うことも必要レベルかもしれませんが、それも対人恐怖になります。
家族から聞くと1年ごとに火災警報器の点検があり、去年は自室から逃れて風呂場にいたそうです。
その点検日が近づいています。給湯器も古くなって新しくしなくてはならないかもしれません。
こういう家族ではどうにもできないとき、当事者は外から入る人を歓迎はしないけれども拒否もしない人が多いようです。
これは家族以外の人が家に入ってくる機会です。
この方法を生かして「できるだけ“侵害”しない形で接触する」機会をつくるように提案しました。
これは非常にゾーンの狭い接触ルートですが、抵抗感の少ない方法を探すヒントです。
私は訪問活動をしてきた経験からどういう接触方法があるのかを話しました(ここでは「教室」で話したこと以外にも言及します)。
外から人が入る場合は自室に入り出てこないことが多いのです。
「おじゃまします」という部屋の外からのあいさつ、「おじゃましました」という退去の連絡は静かにすることです。
大きな声はそれだけで威圧的になります。
静かに話していたはずでも「大声で怒鳴っていた」と感じるものです。
自室は“聖域”ですから入ることは“侵害”と心得ましょう。
とはいっても、あいさつのとき「入ってもいいですか?」というと、内から戸を開けたり、うなずいてOKしてくれる人もいます。
無言でいるときは了解していないのですが、姿を見ていれば瞬時に話の糸口を見つけられれば入ってもいいと合図をされることもあります。
それらが基本であると理解したうえで、“聞く機会”をつくるために、入り口のところでその時、その場で思いつく声かけをします。
話をするためではなく、話を聞くために会うのが基本です。
自然な声かけができなければさっと撤退し、次回を期します。
「無理押ししない姿勢を」そこで表すのです。
それを貫くと、次回以降には少し話せることがあります。
声をかける自分の方が「観察され評価を受ける人」なのです。
家族から様子を聞き、当事者の振る舞いや表情を見てどういう言葉から“聞く機会”にできるのかを考えるのです。
先日の「大人の引きこもりを考える教室」では、最初の人の例をここまで詳しくは話していません。
引きこもりの状態の理解は、状態に困難を感じる人ほど深い理解が必要です。
自分の子どもの場合もそこまで掘り下げて理解できるヒントになると私は信じています。