新渡戸稲造『武士道』に熱中しています
新渡戸稲造の『武士道』に熱中しています
新渡戸稲造とは旧5千円札の肖像になった人と言えば知る人は多いでしょう。
武士道とは著者自ら言うように封建制度の所産です。
ただそこにみられる道義は今日の市民社会の倫理やルールが含まれています。
それをどう発展的に生かすかは現代に生きる私たちの課題でもあります。
それが平穏なことではなく、熾烈な取り扱いを受けるのではないかと予測します。
2018年が日本国憲法をめぐる重要な試練の年になると予告され、それに関係するからです。
日本共産党の『しんぶん赤旗』の元旦号で志位和夫共産党委員長と対談した石川康宏さんの言葉です。
「自民党の改憲案の危険性は、いろいろな角度から明らかにしていく必要があると思います。
9条改憲の最大の原動力がアメリカからの要請というのはその通りですが、同時に、安倍政権はそこに「靖国」派的思想を深く絡みつかせ、戦前回帰型の社会をつくろうとしています。」
☆志位和夫・石川康宏の新春対談「市民と野党の共闘は日本社会にしっかりと市民権を得た」
(しんぶん赤旗 2018年1月1日付の5面9行目)
新渡戸稲造は保守主義者といえますが、クエカー派のキリスト者であり、国際人として民主主義の原理を理解している人だと思えます。
「靖国」派的思想との対比の中で『武士道』は賞賛と曲解のなかに扱われそうな気がするのです。
いろいろな話題に即して内容を取り上げてみたいと考えます。逐条解説はできません。
なぜそうしたいのか。
日本の市民倫理として開花した美質が歴史的に、また欧米文化に相対化されて描かれています。
それを狭い民族的で特殊な優越論と復古的な倫理(戦前回帰型)の根拠に据えられるのを我慢できないと感じるからです。
『武士道』はこれまで私が熱中した3冊のうちに入るかもしれません。
1冊は20歳のころ読んだF.エンゲルスの『フォイエルバッハ論』(L.フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結)が最初です。
(日本語に翻訳されている)エンゲルスの著作(自然弁証法、反デユーリング論を除く主な著作)はその後の生活の中で全て読みました。
物事の認識のしかたを学びました。
2冊目はE.モンドラーネ『アフリカ革命:モザンビクの闘争』―ポルトガル植民地で独立運動を始めたモザンビク解放戦線の初代議長の著作です。
日本語版は野間寛二郎・中川忍・翻訳で理論社から1971年発行。発行間もなく読みました。
モザンビクに関する本は少なく、その後、英文になっている多数の著作物を読むようになりました。
世界をヨーロッパ中心でなくそれぞれの地域から理解する必要性を学びました。
『武士道』は上の2冊とはまた違う展開になりそうです。
ひきこもりに関わりながら感じてきた日本人の道義心の源泉に近づけるかもしれません。