告発! 職場はまさしく“やらせ教育”
今の私の職場はまさしく“やらせ教育”
若井邦江(小学校養護教諭・匿名希望)2003~4年ごろの投稿
私は告発する!
もう、今の職場にうんざり。登校拒否になりそう。登校拒否児の気持ちがよくわかる。
早く職場から離れたい。その一心。自分自身が自分自身でなくなる。
その場(学校)を離れると、自分自身が取り戻せる、自分自身でいられるのに、学校へ行くと見苦しい、いてもたってもいられない。
どうでもいいことに。ねちねち、ぐだぐだと時間をかけ話し合う。
一つ一つ枠にはめる。心の根、触発なしに形ばかりが先行、ぜんぜん子ども自身の存在 特性からの話し合いがなされない。
『管理教育』
信じられない位、子どもの気持ちがわかっていない。
興味が湧いたり、触発されれば子どもは自然と動くのに、楽しさや必要性がわかればやるのに、それをせずして手段ばかり。
押しきせばかりを話し合う、それが会議。
指導という言葉が大好きな人の集団には楽しさは存在しない。心からのやる気は存在しない。
会議! 私には苦痛の何ものでもない。手段、方法の交流ばかり、……させて下さい、やらせの交流、命令がとびかうだだけの会議。
未来の教育から大幅にずれている。
『まさしくやらせ教育』
自発するにはどうしたらいいかでなく、受身を徹底させるにはどうしたらいいか、どういう手段をとるかかの教育だ。そこには創造性はうまれない。
自分自身が自分自身でいればいる程、今のいる職場から離れていく。
今、こうやってくつろいでいると楽なのに、学校に一歩足を踏み入れる、職員室に入ったとたん、帰りたー気分になる。いたたまれなくなる。
職員室、何かしてないと落ちつかない。同じ感覚、価値観で話し合い、高めあえる同僚・上司がいない。
夏休み、自分自身が職場を離れ、思いきりエンジョイ、最高に充実、心が拡がった分、職員室に(久しぶりに会議があり)入ったら、自分がまるでおしょうゆなど一升ビンにいれる“じょうご”のように、拡がっていた私がスッーとビン詰め状態で、会議の間中、とじこめられた気分だった。
息苦しい!!
一日いるのが息苦しい。
もう午前中が限界、早く新鮮な空気が吸いたい!
ここにいるとどうかなっちゃう。
会議終了と同時に、家にかえってきた。
職員室で食べるお昼より、家で食べるお昼も方がどれだけおいしいか、ホーッと落ちついた。
午後2時半、もう一度学校へ行かなきゃいけない。
2時間半なんてあっというま。楽しい、リラックスした時間なんてあっという間だ。
だんだんと、今のままでは職場がアップアップになっている私、夏休み中、充実していた分、そのギャツプが激しい。
登校拒否児の心が、自由に拡がった心を常に求めているならば、ビン詰め体制の学校がイヤになるのは当然。
押しつぶされちゃう。本来の自分が出せない。
何も学校だけが教育じゃない!
自分自身が夏休み中、職場を離れ、山登りをしたり、自然に触れたりと思いきり毎日活動したり、自分が心からこうしたいと思うことを行動し、心が拡がった分、つくづくそう思う。
今のままの学校ならば、学校なんてない方がいい。
自由に選択して学べる場の存在の方がどれだけいいか、どれだけ成長できるか、特に自然の中から学ぶことの方がどれだけ大きいか、つくづくそう思っている。
最近、自分自身の職場、仕事に対しても真剣に考えはじめている私。
〔投稿の受け取り時期は不明。2010年以前だが2000年ころかもしれない〕
この方は養護教諭であり、子どもにどう対応していたのかがわかりません。
ちょっと残念です。