『アスペルガー気質の少年時代』のあとがき

松田武己の子ども時代を「アスペルガー気質の少年時代」としてまとめることにしました。いろいろな生活場面に子ども時代の私が行ったことを、あれこれ書いてきたので、それを 1つにまとめようというわけです。
思いついたのは「文学フリマ・東京」に出展する目標で、これまでいただいた数人の手記などを手作り本にする作業を進めていると途中です。①小林剛『ひきこもり模索日記』は不登校からひきこもりの時期を、②逸見ゆたか『精神的ひきこもり脱出記』は私より10年以上先輩の体験を、③高村ぴの『アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤』は書名そのまま、④ナガエ『私の物語』は子どもの虐待と解離性人格障害を——これらは新しく追加して手作り本にするために元の原稿を読み返すなかで確認したことです。
そういえば中崎シホ『喪失宇宙からの手紙』はある文学会の公募に提出したので、結果発表は5月ですが、応募したのは昨年12月のことです。この作品が事実上はじめの動きかもしれません。
不登校情報センター(あゆみ書店)の、そこに関わる人たちの特徴的な傾向が、ここにそれぞれが表現できていると思えたからです。不登校情報センターに関わる人には、それぞれ特徴的な様子を表現する人、特別の体験をする人がいます。それらを手作り本として実現すれば、そこが明確に表われるのです。
それらに関わるなかで、私自身のアスペルガー気質の様子をまとめようと思い至ったのです。アスペルガー障害は、最近は自閉症スペクトラムという枠に収められて診断されますが、むしろアスペルガーの用語を入れる方がそのある傾向をクリアーに表現すると思えますので、そして私のばあいは比較的軽度(異論のあることは認めますが、社会生活に大きな影響は少ないと勝手に判断して“軽症”とします)ですが、発表することにしました。

さて『アスペルガー気質の少年時代』は、2007年以降に私の子ども時代を思い出して書いたものです。私がそれを自覚したのは不登校情報センター内で行った2007年秋の、心理カウンセラーKさんの「アスペルガー障害の学習会」でした。
Kさんは、不登校情報センターに来て通所するひきこもりなどの経験者、訪問サポートする学生らと相談を続けていました。定期的に学習会も開いていたのですが、私はこの学習会で初めてそのレクチャーを聞いたのです。
その話を聞きながら、それはまるで私の子ども時代の様子を聞く思いでした。「そうか、自分はアスペルガー的傾向の強い人間だったんだ」と悟りました。62歳のときです。もはや何かをとり戻すことはほとんどできない年齢です。しかし、何かホッとしたというか落ちついた安心した気持ちになったことを覚えています。
これをKさんに伝えると「ペンの持ち方とか、いろんなことでそう思っていましたよ」という主旨の答えがありました。お見通しでもあったわけです。私がここでアスペルガー障害と自認するのではなく「~気質」と表現するのは程度が軽いということと、Kさんがそのときは「~気質」と言ったことによります。
《そこを起点にしてこれまでを振り返ってみると了解できることが次つぎと湧いてきます。子ども時代に「変わっている」と言われたこと、学級内ではグループに入らず「公平さ」を買われて学級委員長などにつかされやすかったこと、小学校3年頃から毎日のように地図ばかり見ていて、中学生になると辞書づくりに進んだこと、小説も書いていました。一人遊びゲームも自作していました。数え上げれば際限ないぐらいアスペルガー的特質で説明できることがあります。
私の子ども時代には社会的にはこのような視点はなかったのですが、看護婦だった母は兄弟5人のなかで私の異質性を認め、「特別支援家庭教育」をしていたように思います。》(『ひきコミ』第66号・2009年5月)にそのころ感じたことを書いたものです。
ある1つの作業に集中すると、それに熱中して他のことに気が回らない、ということは今もあります。一点集中と他への無関心はこうして両立するのです。一点への集中はある事柄に深く進入していく力になります。私が何かを感じ、それを進んでわかろうとするのはそこにあります。そしてわかったことを文章化する、それを積み重ねることが私のワーク(作業)になってきました。ワークはこの方法だけではなく他の方法もあると思いますが、私のばあいはこれによります。
アスペルガー障害の通説(?)とは違う感じをもつのがもう1つあります。周囲に起きていることを察知する力(感受性など)に疎いというものです。私の感覚では、よくわかるときとよくわからないときが際立っており、そのうちアスペルガー障害の通説では「よくわからない」が強調されていると思うのです。
《「一点への集中」と「他への無関心」》、そして《「よくわかるとき」と「よくわからないときがある」》という2つの事情は、その根っこは同じかもしれません。それを含めてこの2点が、私の子ども時代を書いたものにどのように表われているのか。あるいは表われていないのかも確かめられるのではないでしょうか?

小林剛『ひきこもり模索日記』を発行

小林剛『ひきこもり模索日記』の手作り本ができました。「おわりに」として私は2ページの紹介文を書きましたので紹介します。「文学フリマ・東京40」に出展します。不登校情報センターの居場所の初期の状態を彼の目から描いています。A5版110ページ、定価400円+送料210円です。申し込みあれば送ります。
《『ひきこもり模索日記』は、人生模索の会を立ち上げた小林剛さんが不登校情報センターの会報『ひきコミ』(46号、2007年7月~51号、2007年12月)にかけて6回に分けて掲載したものです。ところが最初は18号(2002年12月)に掲載を始めたのです。『ひきコミ』の市販が突然中止になりました。その後『ひきコミ』手作り版を再発行したのを受けて全文を5年半後に再掲載したのです。執筆したのは2002年なのです。
『ひきコミ』に再掲載時に匿名「森田はるか」としたのは、私の考えによります。当時彼は30代前半であり私なりの勝手な配慮です。そんなことには全く関係なく実名でよかった気もします。彼と直接に知る人は作者が小林剛さんであることはすぐに分かるでしょう。
ある時期から彼は不登校情報センター(というより松田武己を)を内側から観察できる状態になったはずです。私が考えてきた不登校情報センターを、彼は一人の通所者として客観的に述べています。言葉を飾らない彼の記述は、私の書くものとはまた違った視点から不登校情報センターの、とくにひきこもり当事者への関わりを見たものになっている点で貴重です。
「松田さんは青年期のひきこもりをわかっていなかった」という彼の言葉は、本当です。私が同じことを話しても本気にされなかったし、謙遜していると受けとめられて「しょうがないな」という気持ちであっても、身近に見ていた彼が言うのであれば信実性は格段に高まるというものでしょう。
具体的な場面で、私がどうしたこうしたというところも何か所かあります。全部がそのままとは言わないまでも、彼の記憶に残っているものですから、おおかたはその通りであったと見ていいのです。
内容面では、当時の不登校やひきこもりのおかれた状態、受けとめる学校・教師や家族など周囲の人の様子を表わしています。こういうのが全てとはいえないにしても、珍しいことでもありませんでした。
注目点は「ヨコの関係」づくり、当事者間のつながりを意図している点です。居場所においては「タテの関係」=運営者と通所者の関係はすぐです。よいと思えば継続しますが、ダメと思えば通所しないからです。主に「タテの関係」ができる通所者により居場所は続いています。「ヨコの関係」は運営者が入りすぎると壊します。これは通所者内の動きに左右されます。ここに彼の努力が見られます。居場所の良さは自主性と自治力が関係する「ヨコの関係」のレベルにより判断できると私は考えます。彼はここに力を発揮しました。
手作り本として発行するにあたり、それまで横書きであったものをたて書きに直しました。表記で変わるのは数字表記に関わることです。それにも増して、この編集、というよりは印刷用の版下づくりには苦労しました。十年を超える空白があり、以前に一度できていたことがうまくできません。予定したものがイメージ通りではなく、原文の版下づくりにミスをくり返しようやく出来ました。》

介護は家族の世代継承機能になるのか?

家族は世代継承の機能をもつ。こういう命題を立てて考えをすすめています。

世代継承の機能は「子育て」において最も明瞭に表われます。家族のだれかが病気とか体調不良になった。そういうときの看護や介護も容易に理解できるでしょう。

長期の障害者などの介護は家族内ケアの重要な内容ですし、高齢者介護も長期に及ぶこともあります。

これらの家族内ケアは、家族の世代継承機能にどう位置づけられるのでしょうか。子育てと同じ世代継承機能を成り立たせるのと同列に考えられるのでしょうか? 私にはこれに答えるのはなかなか難しいのです。

あるときふと思いました。

世代継承機能として家族の役割が低下したとき、それらが強く表われやすいのはどこだろうか? 子どもへの虐待、家族内の障害者や高齢者への虐待がそれではないかと。

最も近い関係にあるからこそ、この家族機能の低下は家族内の弱い立場(看護や介護を受ける、いわば家族内ケアを受ける側)への否定的な形で表われるのではないか?

この家族内の対応力低下を補うため生まれたのが、若年者(とくに子ども)のヤングケアラーの発生ではないか。そして苦しい状態におかれた子どものストレスの発散のしかたが子どもの間の「いじめ」の遠因になるかもしれない。そういう子どものストレスが家族内の人や場で生まれるのが家庭内暴力ではないのか……との思いに至りました。

このように家族の世代継承機能の低下、困難は反対側の問題行動として表出しているのではないか。そこを別角度からみたのが、子どもの不登校であり、いじめの発生や家庭内暴力であり、ヤングケアラーの問題ではないのか? 

これらの問題行動の原因のすべてを「家族の世代継承機能の低下」で説明できるとは思いませんが、重要な要素になると思いいたりました。

これをもって高齢者への介護が家族の世代継承機能を立証するとはいえそうにはありません。しかし、その機能の欠如が、家族を発生源として表出したのではないのでしょうか?

それは犯罪発生が、社会生活の困難の発生と強い相関関係にあるのを思わせます。基本的には取り締まる以前に、問題発生の遠因に目を向けるのが必要だと思います。

とはいえ、「介護は家族のもつ世代継承機能にどのような関係をもつのか」という問いへの答えは十分に引き出せていません。どなたか答えてくれませんか? 犯罪はいかなる理由があるにしても、合理的・倫理的に説明できないのと同じかもしれません。「介護は家族のもつ世代継承機能」も別口の人権とか人情で説明するしかないのでしょうか。

精神的ひきこもりから社会的ひきこもりへ

30年にわたりひきこもり経験者に囲まれてきた私ですが、どれほどひきこもりを、その人間像を理解しているのかは、いまもって確信があるわけではありません。ただ数年前からひきこもりを個人の精神心理的な面を見るのではなく、経済社会を背景とする社会現象として調べ始めました。そういう条件のなかで、改めて逸見さんの手記を読み直す機会がありました。「文学フリマ」という自作本の展示即売イベントが予定され、逸見さんの作品を提出しようとこの体験記を読み直す機会にしました。
逸見さんの手記は『ひきコミ』第4号(2001年4月、当時は書店で市販)に掲載されたYさんの投稿への返事として書き始めたものです。                 《どこを直せばいいのか  Y (東京都立川市 女 27歳)          結婚して2年になります。中学のころから人間関係に悩み、高校は1年でやめて、結局通信制を卒業しました。社会にでてからも何度もつまずき、仕事を長続きさせることができませんでした。                           集団の中に入ると、どうしても浮いた存在になってしまいます。特に影響力のある人、力のある人から疎まれたり、嫌われてしまいます。私と一緒に何かをすることは嫌だ、と言われたことは一度や二度ではありません。                                             すっかり人間が怖くなってしまい、結婚する一年前から外で働いていません。夫も職場でうまくいっていないらしく、関係もぎくしゃくして辛いです。この年になって情けないですが、これからどう生きていったらいいのか、生きていけるのかわかりません。自分のどこをどう直せばいいのかもわかりません。これ以上、拒絶されたり、嫌われるのが怖いのです》
逸見さんの手記は、このよびかけへの答えとして書かれました。しかしそれができたのは6年後です。よびかけたYさんには届かないままです。社会問題になっているひきこもりの人は主に1970年以降に生まれた人たちです。もちろんそれ以前にも、私が関わる人のなかには1960年代に生まれた人もいます。このような社会現象、社会問題はある時から突然表われるわけではありませんから、これは当たり前です。
社会的事情を背景としてひきこもりを説明しようと試みてきた私には、これは説明可能です。すなわち1950年後半から1960年代にかけて展開した日本の高度経済成長期が、社会を大きく変えたのです。その心理的な影響はことに若い世代から、そのなかでも感受性がゆたかな人たちがそれを表わしました。ひきこもりはその特色のある表現といえるわけです。
逸見さんは1934年生まれです。1945年当時はまだ小学生であり、そして彼女は中学3年のとき不登校を経験しています。しかし、結局はひきこもり状態になりません。そうであるから(そうであるにもかかわらず)、彼女は最近のひきこもりのある範囲の人たちの心情をみごとに察知し、説明しています。
これは注目すべきことです。彼女は「精神的ひきこもり」と自称し、それがひきこもり(すなわち社会的ひきこもり)と共通することを見事に示しています。それでいながら、社会的ひきこもりに至らず精神的ひきこもりであったのです。この関係を逸見さんは事実上わかっていました。これはなかなかのものです。逸見さんは私よりはるか以前にこの事情を知りました。逸見さんのすごさが浮かび上がります。信州にはこのような人物を生み出す社会的土壌があると感じています。
日本のいつの時代かはわかりませんが、精神文化的には精神的ひきこもり状態が一定の範囲の人にありました。国民性としての内向性、心理的な縮み指向、配慮的な性格と考えられてきた人の中にいます。これが高度経済成長を経た後の社会においては、行動・行為の変化をもたらし、それが社会的ひきこもりの表現になったのです。
逸見さんの体験は変化のある時期の事情を示しています。もちろん彼女1人の事例をもってこれを過大に評価し、全体的な証明材料とすることはできないでしょう。それでも貴重な証言になるのです。この変化を精神心理学的な対応として説明できます。彼女はそういう心情をもちつつ社会的体験を重ねるなかで、いろいろな可能性が結びついて「精神的ひきこもり脱出」に至ったのです。
この社会的体験は、彼女が生活した時間帯でのことです。そこには戦後から続く「前高度経済成長の時期」がありました。自ら選んだ保健師という職業体験もあります。そのときどきで察知したいろいろな出来事の意味をみごとに言語化しています。おそらくはここには長野という文化環境、当時の生活の主流が農業と繊維産業という時代背景が働いているでしょう。
高度経済成長期もやはり日本社会を構成するもので、それまでの社会との連続性があり、1990年以降の「低迷期」といわれる時期ともつながっています。それは彼女の体験した場面ともつながっています。逸見さんの体験手記は、こういう事情を示しています。多くのひきこもりの体験者の話を聞いてきた私には他に例を見ない詳しく、具体的なものです。

介護と家族構成員調査のない家事調査報告

藤田朋子「無償労働のなかの『見えない家事』——夫婦の家事分担調査からの検証」(p101~121)を読みました。                         書かれたのは、最も新しい引用が総務省統計局「2006年社会生活基本調査」ホームページであり、それ以降となります。                    これまで日本で行なわれている家族調査を大きく3分類しています。        1) 官公庁等の大規模調査                           2) 家族社会学領域の調査                           3) 家政学領域の調査

これら調査全体の家事関連項目をみると同一ではありませんが、私には衣食住に関連する家事労働と、子育てに関することの2つに分類できると理解されます。                                 介護および病人・障害者のケアは全ての調査において見られません。いずれこの部分も加わっていくでしょう。                              1つの調査において、「回答者の基本的属性」を紹介しています。        大阪府内のある女子大学の卒業者で30代後半から40代になった人を対象としたアンケート調査(2007年7月実施、705通発送し284通の有効回答,p108)。これ以上の家族全員の構成を調べたものは見当たりません。実施したとしても集計は難しいと思えますが、その視点はない)。                   上の2つの点がないので、家事の現実を調べる点では有効であるとしても、家族状態の変化を動かす部分への言及は出てこないでしょう。ヤングケアラーの問題もここからは光が当てられないのでは…。 この論文の内容に関しては、多くの論文をみて、全体状況を把握したうえで、改めて個々の点に入っていくのが妥当になると思います。 

家事労働を金額評価する基準作成の動き

会報『ひきこもり周辺だより』(2025年3月号)掲載
3年ほど前からひきこもりへの対応を個人の精神心理面から見ていく視点から社会的背景から見ていく視点に移しました。社会的背景とは1960年代の高度経済成長期に家族関係が大きく変わり、その変化を感覚よく察知した若い世代に社会的なひきこもりが生まれてきたと理解できるようになりました。
私と関わった不登校やひきこもりの人が生まれたのは主に1970年以降です。このような変化は個人差がありますからいっぺんに全部が変わるではなく、若い世代の感受性の豊かな人から変わるのです。
こうして私は、ひきこもりの背景には家族状態の変化があるとみて、それを調べ始めました。歴史はこれまでの家族状態では継続できないときに、ゆっくりと徐々に変わると示しています。その動きの原動力は(少なくとも日本の今回の場合)、子育てなどの家族内ケアが持続的にできるかどうかにかかっていると見えます。
家族にはいくつかの役割があります。毎日の生活を続ける衣食住などのルーチン作業と子育てに代表される家族内ケアがその2つの部分です。これに関わる多くのエッセイを書いてきたのですが、小難しい読み物になり敬遠されると予感して、会報に掲載するのはごく控えめでした。
もっと分かりやすく、日常生活に関係するところを会報の先月2月号に載せました。家事労働の現状を表わす図表などです。会員・読者にはこれなら比較的に近づきやすいと考えたからです。ある人が自分のばあいを手紙で知らせてくれました。この手の話ならみなさんにも話しやすいので、親の会などでも話題にできそうです。この人の了解をいただければ、会報に掲載しみなさんの状況を話す糸口にしたいと思います。
それにしても人間の生活において家事は軽視されています。少なくとも収入を得られる仕事と比べて評価されていません。大事だといっても、言葉以上に大事さを表わす基準がありません。どうすればいいのか。あれこれ考えていたところ、世界には既にそう考える人はいました。どうやら国連に持ち込まれて専門的に研究されているようです。
今回は、そういう事情を調べたものを紹介します。実際には多くの周辺分野がありますが、今回はその1つとみてください。

▽家事労働を金額評価する基準作成の動き
私は家事労働に目を向けました。その労働が数値表示、特に金銭評価されていないために軽視される位置におかれているからです。
(1)それは、人類の発生以来(発生以前から)行なわれていた生存のための活動、生理的活動の継続を示しているとの認識に至りました。
(2)家事労働に限らず、このように数値表示されない活動は他にもいくつかあります。現代における代表的なものは、ボランティア活動です。ほかにも物々交換、自家消費生産もそうでしょう。有償・無償の境界ははっきりしませんが、入会権など共有地における労働や、細かくいえば家事と分離されない家業(商店・町工場など)の家族労働などが入ります。
こうした家事労働とそれに似た傾向にある数値表示されない、非評価労働をどう評価するのかを考えました。暫定的な結論は2つです。
1つは、家事労働のそれぞれに匹敵する市場換算に表出された労働(これは職種に当たる)に比定して、その対応する家事労働を労働評価していく方法。
もう1つは、家事労働の労働時間を、金銭換算しないで労働時間(望ましいのは社会的平均的な労働時間)を評価数値として表示することです。
このうち家事労働に対応する職種の賃金水準をもって家事労働を評価する試みはすでに始まっていることを知りました。それを紹介する論文「SNAにおける無償労働の貨幣評価と家計勘定」(佐藤勢津子/専修大学大学院,作間逸雄/専修大学経済学部)を参照に説明します。
SNAとはSystem of National Accounts(国民経済計算体系)という国連の機関です。そのサテライト作業の1つに無償労働の貨幣評価は取り組まれました。「1995年、北京女性会議は、その行動綱領のなかに、無償労働を貨幣評価し、中枢国民勘定ではなく、サテライト勘定にそれを反映させる方法を研究すべき」としています。30年ほど前にここまで話は進んでいたのです。
日本では1996年旧経済企画庁経済研究所は無償労働の貨幣評価を研究し、その推計結果を1997年に公表しました。
*経済企画庁は日本の国内総生産(GDP)をまとめる政府担当機関であり、これは省庁改編後には内閣府にひきつがれています。
上にいう中枢国民勘定とはGDPを指しています。SNAは、世界各国のGDP算出の基準も決める国連の機関です。その北京女性会議は第4回世界女性会議です。
日本の家事労働評価は、1997年からこの論文発表の2013年までに4回行なわれ、その都度いくつか改訂され、担当部署も交代しています。
評価には3つの方式があります。算出に用いる基礎データは、時間使用調査による行動カテゴリー別時間データと男女別、年齢別、職種別賃金データを使い、それには総務省統計局「社会生活基本調査、厚生労働省賃金構造基本調査(賃金センサス)」が主に用いられています。
方式が3つに分かれるのは、行動カテゴリーを予め定められている(プリコード方式)、記入者が自分で何をしていたかを自由に記入できる(アフターコード方式)、そして第三者基準(委任可能性基準)です。いずれも行動種類の中で無償労働に対応するカテゴリーを取り上げてその行動時間を賃金データで評価するものです。
家事労働を職種に当てはめる代替費用法を2009年公表の対応職種でみると次のようになります。
炊事→調理師、調理師見習
掃除→ビル清掃員
洗濯→洗濯工
縫物・編物→ミシン縫製工、洋裁工、洋服工
家事雑事→用務員
買物→用務員
育児→保育士
介護・看護→看護補助者、ホームヘルパー
「家庭内サービスを代替するサービスを生産する産業の現業職種は一般に低賃金である」(p9)とされています。これらを「家事的労働」と呼ぶ人もいるようです。上の家事のうち育児と介護・看護が私の分類する「家族内ケア」になります。
これら右側に表示されている職種の〈時間給〉がどれくらいかは調べていませんが、
‘’納得のいかない‘’事情説明を実際にされているみなさんにそれぞれ教えていただきたいわけです。

1997年の経済企画庁の推計結果をこの論文筆者は次のように紹介しています。
「基礎統計である時間使用の制約は厳しく、各国の先行事例と比べて過小評価にならざるをえなかった…先進諸国の無償労働者の貨幣評価額は、GDPのおよそ6割であり、わが国の無償労働の貨幣評価額(20%台)との差を統計上の問題として説明することは不可能と思われる」(p5)。
著者は遠慮がちに言っていますが、日本の家事労働評価は先進諸国と比べても半分以下にしか評価していないとあきれているのです。お分かりでしょうか?
その後の年度の家事労働の評価方式がどのように変化したのかはまだ調べていません。いずれにしても不十分であり、大いに改善の余地はあると思います。そう判断しますが、しかし、家事労働を金銭評価する一つの土台ができていたことは大きな発見です。
それにしても、この質量の評価レベルをそのまま家族の世代継承機能を有償換算された表現とみるには、あまりにも軽率であり、事の重要性と結びついていない感じがします。機会があればこの評価内容に言及したいと思います。

●これを「家族と家事労働」勉強会にしたいと希望します。賛同者はいませんでしょうか。論文が多くあり、分担をして読みたいと思います。