寝具から睡眠を考える

私は台所周辺の板の間でときどき横になってしまいます。ぐっすりと眠ってしまうことも珍しくはないようですが、たぶん短時間です。
情報センターでのこの光景はそう珍しいことではありません。いつでも、どこでも寝られるというのは私の特技です。もっとも厳密な意味では「いつでも、どこでも」ではないのですが。
こう書くのは、眠れない人が多いからです。詳しく調べたことはありませんが、引きこもり経験者にはよく眠れない、寝つきが悪いという人はとても多いです。眠れないために睡眠薬や睡眠導入薬に頼る人が多いです。
私はなかば冗談ですが「薬物削減カウンセラー」になろうかと考えています。たぶん薬事法とか医療諸法に抵触しないと確信すればそうしたいと思います。薬物の服用は、短期的な効果を求めて長期的・基本的な目的を見失っていると思うからです。
この続きはまたの機会にして、睡眠の話に戻しましょう。

最近読んでいる本に『人間工学からの発想』(小原二郎、講談社ブルーバックス、1982年初版)があります。そのなかの1章に「寝具の人間工学」がありました。布団・ベッド、枕など寝具に関する面から睡眠を取り上げていて、医学的な面とは違う睡眠の見方を学べます。
そのなかに寝具の、特に敷き布団、ベッドの硬さについて書いてありました。適度の硬さが必要とあり、西式健康法の「平床硬枕」をその面から評価しています。私が板の間で眠れるのはその点から納得する面がありました。
引きこもり経験者の日常生活を見ると、薬物に頼ることだけではなく、他にもいくつか思うことがあります。自然な回復力を伸ばすのではなく、逆に免疫力を下げてしまうのではないかと思うことです。そのあたりをときどき書いてみましょう。

3つの「間意識」から自分の問題を探す

引きこもりからの外出に心がけている人の実感を聞きました。
家から外出するとき、家での準備のときがうっとうしく、抵抗感を押しのけている無理やり感があります。衣服、持ち物、片づけをするのにあわただしく、そのあわただしさは時には耐え難いときもあります。バス停まで行ってバスを待つ状態になると落ち着きます。
よく考えると、そのバスを待つ状態になるまでが課題の中心です。それはバスの時刻に拘束されている自分がいて、それへの精神的な抵抗に苦心しているようです。バスが込んで窮屈であるとか、バスに乗っている人への不安的なものは自分にはありません。
家から外出は自分で心がけています。その日の体調にもよりますが、いざ行こうとしたときの抵抗感の中心は時間に自分が縛られ、バスに間に合うようにバス停で待っていなくてはならないことであるとわかります。

引きこもり経験者が意識しやすいことを空間意識、時間意識および人間意識の3つの面から見ることができます。人間意識とは対人関係の表われです。距離感が近い、人の気持ちに左右される、人の感情がわからないなどの形で指摘されることです。バスの例で言えば、バスの混雑がとりわけ苦手という形などで出るのでしょう。
空間意識も神経質的な状態としてよく指摘されます。エレベーターなどの狭いところが苦手、広場恐怖などを挙げることができます。バスが苦手になる場合も上の例とは違い、空間に関係しますし、動いている空間に特別の意味が出るときもあります。
時間意識の例は挙げにくいのですが、実は時間に追われるのが苦手であるとか、逆に時間が迫っているのに大事なことに手がつけられない形でも表われます。この例は集団行動のときに全体の動きに合わせるのが苦手ということで表われやすいものです。

そして空間意識、時間意識、人間意識が2つまたは3つが複合します。何かが苦手であるとか、漠然とした不安感があるとき、空間・時間・人間の「三つの間意識」に照らして観察するといいと思います。その方法が瞑想になる人もいると思います。形式は瞑想でなくてもそれに近いものです。理論的な分析ではなく、感覚を研ぎ澄ました状態での自己観察です。