「大人の引きこもりを考える」教室の意図
5月から親の会を発展的にする「大人の引きこもりを考える」教室を始めます。
参加してほしいのは、引きこもりの親、引きこもりの経験者、引きこもりの支援者になろうとする人やカウンセラーです。部屋の広さから15名ぐらいの参加者が限度です。毎月第2日曜日の午後を予定しています。
主旨=引きこもりとは何でしょうか。困った問題としてではなく、未来を感じ、開いていく要素を引き出していく視点が必要です。引きこもりを経験している人の苦心とは人間が次の時代を迎えるとき社会を代表して前途の課題を受けとめている苦心のように思えます。
引きこもりの経験を生かそうとする、それを“業績”にすることとは、その人がいま抱える問題を解決するばかりではなく、日本社会がこれから進む道を準備することになります。
引きこもりに悩んでいる人の問題を上から目線や、治療視点ではなく、時代の雰囲気を先端で感じる気質がある人が受けとめている身体的・精神的な状態とみるのです。
私は不登校情報センターとしてこの問題に関わってきて、このように確信するようになりました。そう考えるまでの経過、その到達点は独特のものかもしれません。そのような別の視点は社会参加を促す視点、治療目的の視点ではさしたる成果が得られていない現状に新しい視点を提供するかもしれません。
それをともに考え、追求する同行者を求めて、この教室を始めます。
引きこもりとは何でしょうか。現実の自分の中に肯定性を感じられない青年期の人には未来の自分をイメージすることは困難です。特に内省的に自分の問題を見つめようとする人はそうなりやすいのです。自分の現実を見つめるには、周囲の人に気配りをする気質では難しいものです。その過程を撹乱される条件の低い引きこもり状態に自分を置くことによって遂げようとします。人との接点を最大限に少なくする引きこもり状態に自分を置きやすいといえるのです。
このような引きこもりの人の状態をさまざまな現象として捉えることは重要です。しかし、そこにとどまり、そのなかで前途を探り、対人関係や社会性を伸ばしていくのでは未来はなかなか描けないものです。
その至近距離の視点では引きこもりを改善・解決は根本的には期待できません。それらの努力を評価するけれども大きくは前進しないと考えるのです。それはこれまでの引きこもり支援策の現実がかなりの判定を下しています。
現在と未来をつなぐには引きこもりの人のなかにある可能性を見出し、引き出し、社会の未来図と結び付けなくてはなりません。それは引きこもり体験を“業績”として、認める方法を確立し、その人の今後の軌跡が、同時にまた社会の進歩と重なる姿として描けなくてはなりません。
それは心理的、福祉的あるいは医療的なレベルとともに特に経済的または教育的な方法と手段が提示されなくてはならないでしょう。私には手に余る課題です。それを一緒に探求していく人を同行者として求めたいというのがこの教室です。講師を引き受けますが、魔術のように答えを出していくことはできません。引きこもり経験した人と同様に、課題をおき、イメージを描き、試行し、はじめにつくったイメージを壊し、再生し、少しずつ改善案を作るような取り組みを一緒にする人を募集します。