引きこもり支援に必要なこと

滋賀県の保健所の対応を滋賀県精神保健福祉センターのガイドブックによる紹介情報の転載で紹介しました。
それを作成する過程でいくつかの傾向・動向を見ることができました。
滋賀県精神保健福祉センターとしてまとめた引きこもりに対応する県下の保健所の情報は大筋においては不登校情報センターとして把握し、紹介していこうとする内容と大差はないものと思います。
それでも細かく見るといくつかの重要点があります。
(1)一つは保健所への交通と、開所時間を明記していることです。地域の現実に根ざした活動をしている証拠です。
(2)滋賀県精神保健福祉センターとして把握ないしは推進しようとする活動を具体的な項目にしています。多くの保健所はそれへの対応は「なし」または無回答ですが方向を示しています。その項目には私たちが実態的には追求しているものもありますし、見えない部分も見せてくれます。たとえば草津保健所の回答です。調査項目に該当する取り組みがなくても「無」と答えたので、このガイドブックはその16項目を全部掲載したのです。
「①面接相談:予約制。主に保健師が対応。②カウンセリング:無。③訪問:面接相談において必要と判断した場合は、保健師による家庭訪問を実施。④居場所提供:無。⑤共同生活:無。⑥グループ活動:無。⑦作業:無。⑧電話相談:平日(祝祭日を除く)9時~16時。⑨外出付き添い:無。⑩社会資源利用:必要に応じて同行。⑪職場体験:必要に応じて同行。⑫職場訪問:必要に応じて同行。⑬インターネット相談:無。⑭親の会・家族会:無。⑮ニュースレター発行:無。⑯イベント開催:無。」
相談とカウンセリングを分けています(不登校情報センターも分けています)。訪問、居場所提供、グループ活動、作業、親の会などは不登校情報センターでは実施しているものです。
社会資源利用というのに「必要に応じて同行」と回答しています。これは居場所コーディネーターを試みるSさんの取り組みを思い起こさせてくれます。
インターネット相談は「ネット相談室」として立ち上げたものです。
しかし、不登校情報センターの取り組みには、共同生活、職場体験、職場見学は例外として行なったことがありますが通常はありません。
これら全体から引きこもり支援の基礎的なものが浮かんでくるように思います。仕事づくりや創作活動支援、ネットショップ、学習支援などは保健所の範囲ではないのですがこれらを含めるとさらに全体像が出てきます。

(3)もう一つ重要なのは、保健師が実態的に引きこもりの判断をしつつあることです。当事者・家族と面談をし、心理士のカウンセリングにつなげるのか、精神科医の精神保健福祉相談につなげるのかの判断は保健師が担当していると読み取れるからです。
これは私が提唱している引きこもりの判断は医師だけにしないで、実際に関わっている人たちにも開放するという方向を一致します。それは現実的な背景を持っているばかりではなく、すでに部分的に始まっていることを教えてくれました。
滋賀県以外の保健師の状態をみると、滋賀県における保健師の状態とは矛盾していないことが確認できます。それだけに滋賀県精神保健福祉センターの調査結果は優れているのです。それは調査項目によるのか保健所の回答者がそうしたのかの判別はできないにしても結果は際立っています。

『ひきこもりー当事者と家族の出口』の書評

関西大学生活協同組合『書評』編集委員会の『書評~春の海 わたる~』(第137号、2012年・春)が手元にあります。私の『ひきこもりー当事者とその家族の出口』の書評が載せられており、版元の子どもの未来社を通して送られてきたのです。
書評をしたのは社会学部4年次生、坂田朋美さんといいます。
ありがたく読ませていただきました。

ひきこもりは誰の責任か〔私流新書の楽しみ〕
知り合いにひきこもりの人がいる。その人はもともと小学校の頃から学校を休みがちであったが、高校に入学してから不登校になり結局学校をやめてしまった。その後も通信制の高校に通っていたこともあったようだが、長くは続かなかった。
私はただでさえ就職難のこの時代で、そのように高校も卒業せずひきこもりになってしまった彼は、これからいったいどのようにして社会復帰していくのだろうかと不安に思っていた。そしてこの本と出会った。
引きこもりの理由は様々であるが、大きく三つに分けられる。まず、自己否定感が強く植え付けられ、それに苦しみ無意識のうちに自分を取り戻そうとしてひきこもった人たち。二つ目に周囲にさまざまなことを決められ、受け身になり自己表現の方法が身に着かず、無意識のうちに周囲から独立したところで自分のペースをつかむために引きこもった人たち。三つ目は幼少期から少年期にかけて虐待や強烈ないじめを受け手、精神的に不安定な状態や対人恐怖などになってひきこもった人たちである。
かの知り合いは、まさにこの本に書かれている二つ目のタイプに当てはまる。過剰ともいえる過保護の下に置かれたためによるひきこもりなのだ。
親が良かれと思ってしている躾でも、それが押し付けになり子どもを追い詰め、ひきこもりに導いてしまうことがある。親が愛情と思ってしていることが、虐待にも近いもの(筆者の言う「虐待の周縁にある躾」)になってしまうケースもある。
監視されているも同然だった女性がそこから抜け出すために、あってすぐの男性に結婚してくださいと言ったという、そんな事例も紹介されている。
それにしても、そこまで子どもを追い込んでしまっていたことに、どうして親は気づくことができなかったのだろうか…。
ひきこもりはその本人だけの責任ではない、ということ。ひきこもりになってしまう人は、ただ単に自分に甘くてそうなったわけではない、ということ。しかし本人たちは私たちが思っているより多くのことを考え、どうにかして抜け出そうともがいているということ。こうした事実の認識が、まずは必要なのだ。
なのに、あいかわらず、ひきこもりに世間の目は厳しい。ひきこもりの人はどうして働かないのだと社会から責められる。ひきこもりなどの少数派は社会の中では異質な存在と見られてしまうのだ。
一方、当事者たちも自分がひきこもり、社会から逸脱していることに負い目を感じている場合も多い。社会復帰したいと思っても周りの目を気にして、なかなか踏み出すことができない。
ひきこもりから立ち直るためにはやはり人と関わり、対人関係を築いていくことが大切である。社会で生きていく上で必要である社会性を身につけるためには実物、実在からしか学ぶことはできない。
確かにひきこもりから脱するまず始めの一歩として、人と交流するということはとても大切である。しかしそれを周りから行なってしまうと善意の押しつけでしかなくなる。そうではなくて、当事者たちのどうにかして社会復帰したいという気持ちを大切にして、当事者からの第一歩を待つことが周りの人たちには求められている。
ひきこもりの当事者はもちろん、その家族たちも非難されることのない社会であってほしい。なるほど日本の雇用システムの改善なども必要であるが、それ以前に「ひきこもり」という実態、事態を受け入れられる社会を、私たち自身が作っていくことが必要なのだ。そんなことを強く感じさせる本であった。

第5回想造展は5月3日に決定

第5回「片隅にいる私たちの想造展」を5月3日に開きます。
同時に「大人引きこもりの社会参加を考えるシンポジウム」(仮称)も開催します。
会場は葛飾区新小岩地区センターの第1会議室・第2会議室です。

会場がどう確保できるか。これによりこの2つのイベントができるかどうかを左右されるものでした。
4月1日になり、朝一番に窓口に行ったところ先客がいました。受付開始は9時。その10分前には受付が始まっていました。会場使用予定表をみると、朝昼夜を通して借りられるのは5月3日だけです。この日だけでも通して借りられたのは幸運としましょう。

(1)創作活動をしている多数の人の出展を期待しています。この日に向けて出展作品の完成をめざしてください。全体にどれくらいの出展数が見込まれるのかを知りたいので、できるだけ早い時期に状況をお知らせください。具体的な根拠はありませんが、出展者20名程度を期待しています。
(2)4月15日(日)午後1時30分から、不登校情報センターで第3回準備会をします。これまでの2回の準備会は参加者がいずれも2名と少なく、会場の未確定も重なり、今回の想造展のイメージがつかめていません。4月15日の準備会の場でそのイメージができるというのは遅すぎますので、事前に連絡をしてください。そのうえでこの準備会で確認をしたいと思います。
(3)運営者としての準備には事務的なものが多くあります。出展作リスト、感想カードの作成、冊子型の作品集の作成、ポスター製作(またNさんにお願い?)、新聞社等への告知依頼、これまでの参加者等への案内…など。15日の準備会以降はこれらの作業が加わりますので、参加を期待しています。
(4)同時開催の「大人引きこもりの社会参加を考えるシンポジウム」(仮称)の準備も並行して行います。2時間弱の講演・シンポジウム、活動を始めた当事者を含めて数人が相談をするコーナーの設定…などを考えています。