精神保健福祉センターの役割

滋賀県精神保健福祉センターから『ひきこもり支援に関する機関・団体ガイドブック』が送られてきました。発行は平成24年3月ですから発行直後になります。
この冊子でわかることがいくつかあります。
(1)滋賀県精神保健福祉センター内に昨年4月ひきこもり対策推進事業実施要綱に基づく「成人期の引きこもり支援センター」が設立されました。このガイドブックは「病気や障害を伴わない引きこもりに就いては、支援の窓口が不明確あるいはない状況で…ひきこもり問題の背景要因には、生物学的要因、心理的要因、社会的要因が重なっており、どこの相談機関においても関係」するので、関係する機関がそれぞれの活動の強みを発揮して協力して対応するために作成したようです。滋賀県下の公共機関と民間団体を網羅する試みの成果です。
このような冊子はすでに神奈川県において発行されていますし(現在は神奈川県青少年相談支援情報サイトができています)、東北の岩手・青森・秋田3件については岩手県のNPO法人が試みています(これは不登校情報センターのサイト内に置きました)、北海道では不登校関係に取り組む機関が作成しています(これは部分的に不登校情報センターのサイト内においてあります)。その他に栃木県の例もあります。
冊子は引きこもりを中心とする情報ネットワークの必要性が認められてきた証拠です。たぶんネットの活用が進むと思いますが、必要な情報を求める世代にはサイト利用に慣れない60代、70代以上が多い点を考慮されなくてはなりません。
(2)この情報収集の中心に精神保健福祉センターが役割を果たすと予想されます。神奈川県の場合がどうなるのかはわかりませんが、このセンター的な役割は情報だけでなく、現実の対応も伴います。その意味では精神保健福祉センターが役割を持つのは自然です。それが全国的に一般化できるかどうかは検討の余地がありそうです。
それらの点に留意しても引きこもりへの対応・支援の行政としての中心拠点が明確にされている印象を持ちました。
(3)ガイドブックをみると、「社会資源利用」として対応機関には相談支援、訪問支援、居場所支援、就労支援があります。そのなかには法務局が加わり広がりを感じます。その一方、教育関係が教育委員会に限られ学校が見えません。自治体の対応セクションは都道府県・市町村で違いますので、必要性がわかっていてもとらえ難いものです。神奈川県の冊子はそれらの点でもさらに幅広くできています。
不登校情報センターの情報提供サイトはその面では最も広い状況を見て作成を続けていることになります。その状態像の対応分野は、不登校、引きこもり、発達障害と周辺事情に関係する団体・機関です。「保健所と引きこもり」のための情報提供依頼はこの情報収集の一環です。
社会資源の範囲に当事者や家族会も含めることは重要です。困難を抱える人への対応は当事者の意見や希望を直接に聞ける当事者参加の仕組みが不可欠だからです。
このような冊子の存在およびサイトの情報提供をお願いします。

愛知県こころの健康推進室のリーフレット

愛知県健康福祉部障害福祉課こころの健康推進室からリーフレット「ひきこもり」をいただきました。全国の保健所での引きこもりの対応状態の情報提供をお願いしており、愛知県はそれにまとめて回答していただいたことになります。リーフレットはそこに同封されてきたものです。
これによりいくつかのことが確認できました。
(1)愛知県健康福祉部は県下の保健所を統括する行政機関であり、この統括の元には保健所と並んで愛知県精神保健福祉センターもあります。
県下の保健所には愛知県設立の保健所のほかに岡崎市、豊田市、豊橋市の保健所があります。これらの保健所は愛知県健康福祉部の管轄外ですが愛知県精神保健福祉センターは業務上の上位機関に相当すると思われます。
名古屋市(政令指定都市)は管轄外で、名古屋市精神保健福祉センターと名古屋市内の(おそらくは)区単位の保健所の業務上の上位機関になるようです。
(2)送られてきたリーフレットには「名古屋市内にお住まいの方は、『名古屋市精神保健福祉センターここらぼ』へご相談ください」となっています。政令指定都市においては精神保健福祉センターが引きこもり対応の中心になっていることを、先日の大阪・熊本の事例に続き具体的に確信させてくれます。
(3)地域若者サポートステーションも、このリーフレットのなかでは愛知県精神保健福祉センターと並んで「ひきこもり相談窓口」として紹介されています。愛知県健康福祉部の管轄になります。全国的な状況とは確定できませんが一つの情報になります。
(4)これらにより保健所、精神保健福祉センター、地域若者サポートステーションの関係、愛知県と名古屋市の関係(分担)がわかります。他の府県においてもだいたいこのようなものと推測されます。

寄贈を受けた本などの再利用策

『いじめないで。』という本が献本されてきました。阿蘭ヒサコ・冨部志保子(共著)、NTT出版、2012年3月発行です。
ドコモ市民活動助成団体に取り組むNPO法人モバイル・コミュニケーションファンドが毎年発行するもので、今年のテーマが「いじめ」ということです。
不登校情報センターにはときどきこのような献本があります。著者個人からの献本もありますし、読んでしまったので「ご利用ください」の趣旨で送っていただく人もいます。
寄贈を受けた本」ページにかなり紹介しています。なかには同じ本が複数冊になるものもあります。

これらの献本や申し出はありがたく受け入れてきたのですが、その後の活用は十分ではありません。その活用をこれから次のようにしようと考えました。
(1)献本はこれからも積極的に受け入れます。本の種類・ジャンルは問いません。不登校や精神医学に限らず、マンガ、小説、教科書など何でもいいことにします。大量になる場合は事前に連絡をください。
(2)可能な範囲で本を超安く販売します。貸し出しも考えたのですが、手間隙を考えると安く販売するのがやりやすいという結論です。基本的な視点は本を再利用することです。送料を含めて1冊300円以内(200円でも?)にします。
(3)上の基準では販売できない本もあります。①自主制作本、②購入して(仕入れをして)販売する本です。これらは1点ごとに定価(または販売価格)を表示します。
(4)本の販売はネットショップ「あゆみ書店」を改装して積極的に行ないます。時期は今年の夏以後を予定します。運用の協力者を募集します。

桜の思い出

桜の咲く季節がめぐってきました。今年は開花が遅れているようです。
はたして花見ができることになるかどうか。

「いろいろなこと思い出す桜かな」と誰かが詠んでいましたね。
4月の新しい年度が始まり、自分史の中の変化と結びやすいので、あのころは…と思い出しやすいのでしょう。そんな何かを思い出させてくれる花が桜です。
国の花、国花があるとすれば桜でしょうか。
むろん梅がいい,牡丹がいいという人もいるでしょう。
それらは相対的な好き嫌いはあっても、思想信条なるものは付いて回りません。
桜を国の花というのは、日の丸の国旗、君が代の国歌とはそこが違います。
ただこの時代に国家の象徴を増やすのは妙なナショナリズムの気分を推進になってしまいそうですね。

 
さざなみや志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな

高校時代の古文教科書に出てきた和歌です。
歌人は薩摩守忠度(さつまのかみ・ただのり)。
和歌の師匠・藤原俊成は「詠みびと知らず」として自選の『千載集』に採用し、時代が落ち着いてから平家の武将・忠度の作であると明かしたとか。
記憶が間違っていなければ、「平家物語」のなかで古文の先生はそのようなことを話してくれたはずです。
和歌として名歌かどうかは私にはわかりません。
少なくとも幽玄を推奨する俊成卿は採用するだけの価値を認めました。
幽玄調の基準からすれば時間軸が背景にあり、内容はシンプルで力強くむしろ万葉調といえなくもない。素人の私にはそのように映ります。
都を離れるときの武将らしさを現わしていて、桜が咲くころになると、桜とともに思い出してきたものです。

等質な人間関係になる情報社会

3月8日の「引きこもりからの社会参加について」のなかで、情報社会とはインターネットが広く行き渡っているだけではないと書きました。続いて「社会関係、人間関係がフラットな関係(上下関係から等質な並ぶ関係)に移行します」としました。なぜそうなるのかがわからないという質問がありました。それについて書きましょう。

「コモディティ化」というのを聞いたことがあるでしょうか。コモディティというのは日用品というほどの言葉です。私の若いころ卓上電機計算機(電卓)が出回わり始めた時期があり、1台数千円はしました。いつの間にか数百円で買えるようになり、いまでは百円ショップでも買えるそうです。これは電卓のコモディティ化といえます。
いろんなものがコモディティ化します。コモディティ化すると特別の価値がなくなり値崩れが起こります。いろんな種類があっても買い求める基準は“慣れ、とっつきやすさ、付加価値”になってしまいます(佐々木俊尚『ウェブ国産力』アスキー出版、2008年、32ページ)。
最近はパソコンやテレビがコモディティ化しつつあります(している?)。

コモディティ化するのは商品や物品だけではなさそうです。
たとえば大学卒業生(学士といいます)はそのようになっていませんか。学士いう言葉はほとんど死語でほとんど聞くことがありません。ありふれていて特別の価値はなくなるのです。そのうち大学院卒業者もその運命をたどると感じられます。そこで有名大学や難関大学という生き残り言葉が生まれてきます。それらも時間の問題かもしれません。

資格の一部もまたコモディティ化しつつあると思います。いずれそうなるものは少なくないでしょう。コモディティ化する特徴の一つは価値および価格の値崩れです。もっとも値崩れしたもの全てがコモディティ化しているとはいえないはずです。
資格や特別の技能がコモディティ化する背景は商品とは別の要素がありそうです。
大量に存在するというのは共通です。日本のプロ野球はメジャーリーグとの関係(国際化、グローバル化のなかで)で少しコモディティ化しつつあるのかもしれません。

コモディティ化を促進するのに大きな役割を持つのは知識や情報の開示です。衆人がアクセスできる中に知識や情報が置かれることです。情報社会が深化するにつれて特別な知識や情報の独占は崩れます。特別の知識や情報は減り一般化します。それによりコモディティ化が進みます。

これに対抗する動きもあります。社会的地位を独占的に守ろうとするものです。日本医師会は長らく臨床心理士の国家資格化に否定的でした。身体でも精神でも人の健康に関することは医師を頂点にし、そのほかの医療スタッフは医師の指示の下で行なう。それを貫きたかったらしいのです。これが独占のしかたの一つです。制度を設定することで知識と情報を独占するのです。
弁護士もそうかもしれません。しかし司法書士がある分野のことは裁判にかかわるようになりました。国民の裁判員としての参加は別の理由からですが強力に左右するでしょう。
これら一つひとつあげていくときりがありませんので省略します。時代はそれらが一つの大きな流れになって進行しています。しかし、知識や情報だけでは物事は決まらないし動きませんから、事態が一直線に進むのではありません。技術力や社会関係なども付随して変化しないと進みません。
それでも知識や情報が広く知れ渡り、それを独占できないようになると特権的なものは維持できません。知識と情報によるコモディティ化の促進は特権的なものを減少させていきます。

すでにそうなっていながら特別扱いが認められる分野があります。たとえばメジャーリーグのイチロー選手なんかはそうでしょう。スポーツや音楽や美術の天才的な人は認められるでしょう。多くの人が直接に見聞きし、その実力を納得できるからです。情報を衆人の中に開示され、そのうえで認められるのです。そのぶん実力の衰退とともに特別扱いも急激になくなります。引退という制度はそれへの備えになります。
地味な目立たない分野でもそういう特別のものもありそうです。それは否定せずにおきますが、衆人の認める環境条件に置かれてみると特別のものはほとんどなくなってしまうと私には感じられます。

情報社会とはそういう社会であり、人々の関係がフラットになる、等質の横に並ぶ関係になるのはそこを背景にしているものだと思います。等質というのは全く同じというのとは違います。それぞれが個性を最大限に発揮でき、そのうえで人として対等である関係になるのです。人それぞれの自由な成長・展開が全体的な発達に結びつく原理が備わっていきます。競争相手に勝つとか負けることが相対的にどうでもいいことになります。

約60の保健所から情報を入手

保健所の引きこもり対応状況を63か所から回答していただいています。うち2件はホームページへの接続の案内、2件が政令指定都市の精神保健福祉センターからの回答です。59件が保健所からの回答であり、いろいろなことが確かめられました。すでに広く知られていることでも私には発見であったものは少なくはありません。
(1)一般的なことですが、保健所は良くも悪くも公共機関らしさがあります。法令で決められたことは体制をつくり取り組んでいます。それがどのレベルになるのかはこれまでの取り組みの蓄積、それぞれの担当者の努力、そして自治体の財政力などに左右されるのでしょう。そういうなかで公共機関としての対応を維持しています。これは貴重なことです。
引きこもりに関してはNPOをはじめ民間で積極的な試みをしていますが、全国にある保健所の日常活動で維持しているベースに展開されている点は忘れないでおきたいものです。
そして保健所の現状はこれまでの政治と行政と社会の結果であると総括的にいうことができるはずです。
(2)いくつかの発見のその1は政令指定都市(以下、政令市とします)の問題です。全国20の政令市(4月から政令市になる熊本市を含む)所在の保健所からの回答はいまのところありません。おそらく引きこもり対応が精神保健福祉センターの分掌になっているのでしょう。
大阪市と熊本市からはその精神保健福祉センターから回答をいただきました(感謝します!)。熊本市の精神保健福祉センターから連絡があり、保健所から用紙が回ってきたけれども回答してもいいのかという問い合わせでした。政令市の保健所からの回答がないことと大阪・熊本2件の例が政令市の場合は精神保健福祉センターが引きこもりを分掌するという私の推測の根拠です。
(3)このことはまた保健所にお願いした情報提供用紙が基本的には精神保健福祉センターにも通用する可能性を教えてくれました。政令市は上記の推測によりますが、それ以外の都道府県等の精神保健福祉センターはどうなのかを知る課題がやや見えてきました。
(4)政令市ではない東京都の場合はもう少し回答例を見なくてはなりません。
北区からの回答では保健所は引きこもり対応から外れています。世田谷区の場合は逆により広い対象者への対応を保健所がすることになっています。これと精神保健福祉センターがどのような役割分担をしているか・していないかが注目点です。
(5)保健所と精神保健福祉センターが共同で学習会を開いているところ(島根県益田保健所)。引きこもりの経験者が相談に対応しているところ(徳島県三好保健所)。相談・カウンセリングの対応に臨床心理士がいるところもあります。このような特別な例は法令によるものではなく、その保健所の対応の発展を示すものです。一区切りしたところでまとめたいと思います。

トレーダーか株式投資の希望が出されたが

引きこもり状態にある子どもの方から親に株式投資やFXへの参入を持ちかけられることがあります。私は少なくとも3名の親からこのような話を聞きました。
親の相談の中心は「大丈夫でしょうか」というものです。私はこれに対して大丈夫という答えを返すことはできません。よく知らないし大丈夫とは何を指しているのかが聞いている親自身もはっきりしないところだからです。
3人の内の1人は子どもが働いていた時期の貯金を使ってすでに株式投資をしていたようです。ある日「株で儲かった」と家族がかなり高価なプレゼントをもらったという話を聞きました。
別の人は、両親がそろって見えて「株式投資をしたいので◎万円をほしい」と言われているがどうしたものかの相談でした。子ども本人も期するところがあるようでした。
私は◎万円の都合がつくのならば、親として応援するつもりでいるのはいいと思うが、損失が出たときその枠内でとどまるのかどうかは心配ですね、という返事をして終わりました。相談の時点で親はその金額は出すと決めていたのです。

最後の例はより一般的な考える例になると思います。
30代になるこの青年、Cさんとしましょう、はまだ働いたことがありません。高校卒業後に経理を習い、会計的なことはネット上でよく見ているようです。親の買い物を見てはアドバイスなどもしていました。
本人は数か月ごとに医療機関(精神科ではない)に行く以外はほとんど外出していません。家庭の中では片付け、掃除、ゴミ出し、時には食事の準備などを自分の分担として手伝っています。波風なく生活しているのですが、社会とつながるタイミングをつかむチャンスには恵まれにくい環境条件です。
そんな中で「トレーダーのようなことをしたいのでお金を貸してほしい」と言ってきたのです。どういう表現で言ってきたのかは正確ではないし、トレーダーという言葉があったのかも疑わしい面はあります。おおよその感覚としてわかるものです。
これを聞いた私の最初の心配は、両親の思いと似ていたと思います。それでお金が入って来たとして果たしてそれでいいのか。働いて収入を得ることの大切さや実感、感覚がないままになるのではないか。失敗したときの損失が手に余るようなものになる可能性はないのか。そういう危険に対するものでした。

その後、Cさんの気持ちのところで考えてみようと思いました。30歳を超えて一度も働いたことがない。人の中にいて落ち着いた雰囲気が保てない。いまさら新入社員でもないし、だいいち就職できる感覚がもてない。働き続けるイメージがもてない。
そんななかで比較的関心のある経理的なことを生かして、ほとんど人と触れずにできることはないのか。パソコンでネット上ではいろいろなことがわかるし、親の尋ねることにもそれなりに調べることができる……。その結果が株式投資かトレーダーのような提案を思いついたのではないでしょうか。
そうならば親はこれに積極的に答えるべきでは……というのはまだ早計です。
私は両親に親としての心配をCさんに伝えるのがいいと思いました。おそらくCさんもそれについては何らかのことを考えていると思います。Cさんと親が正面から向き合える機会ができるのではないか。穏やかに話を進めることができるならば、互いの本音を出し合える絶好のチャンスになります。感情的になるとしても本気で話し合う機会になるかもしれません。
Cさんからは真剣に物事を考えている苦しみが出されるかもしれません。親には聞きたくない言葉が出るかもしれません。そういう機会ができることこそいいと思いました。
長期の引きこもりの青年が動き出す根底的な要素を、私は“危機感”であると思います。親が与え、煽る危機感ではなく、本人が実感する危機感です。そのような危機感の表現は聞く相手に受けとめられる条件においてはじめて道が開かれます。親子で正面から向き合う条件が子どもの側から出された希望を元につくられるのならば、これを見逃す手はないのです。

昨年来、何人かの人が動き始めているという印象を私は持っています。たぶんこれは私の周囲のことだけではないでしょう。動き始めた子ども側の表現は多様です。Cさんの希望していることもまたそのようなものの1つであるという確信が私にはわいてきました。子どもの表現は親の思う枠内で出されてくるのではありません。出されてきたものをどう見るのかの親の洞察力も問われているのです。
答えはまだわかりません。答えの前に親子で本音の会話ができる機会が子どもの側から出されてきたことに大きな意味があります。それを生かすかどうかは親の度量にかかっています。子どもの方から出されたものは親にとってはとっぴなもの、にわかに乗っていけないものでもまずは正面から聞いていくだけの価値があります。

Wiki版「仕事ガイド」ページの完成と今後

『中学生・高校生のための仕事ガイド』の内容をWiki「仕事ガイド」ページに移し終えました。

この本(事典)は1988年初版のもので、中学生や高校生を対象として多くの仕事を紹介し、仕事の面から社会を理解し、将来の職業選択の参考になるよう企画したものです。
聞いたことのない職種、聞いてはいるけれどもよく知らないものを初歩的に理解できるようにしました。多くの人が職につく、現業的なもの事務的なもの職人的なものを重視した記憶があります。
大筋のところで作業は終えたのですが、取りこぼしもありますし、分類以外に「Note」としていたものの移し変えが残っています。さらに校正の不十分さも避けられません。
何よりもWikiシステムの「カテゴリ」を生かした工夫を試みたく思います。
またこの本を最初に書いた1980年代末と現在では(特にインターネットの普及により)仕事内容が大きく変わっているものもあります。新しい職業が生まれています。
ここを再スタートとして今からの時代の仕事紹介に育てていく必要があります。
「百里の道も九十里をもって半ばとする」とか。更新作業を続ける意味があります。

Google検索「不登校」で2位に

きょうGoogle検索で「不登校」調べたところ、不登校情報センターはWikipediaについで第2位でした。ある目的のため昨年の12月末(27日?)にURLドメインを〔futoko.info〕に代えました。その後Googleのページランクが〔0〕になりました。
「不登校」での検索順位もベストテン圏外になりましたが、ベストテン回復は時間の問題であるとわかりましたので情報提供サイトの充実につとめました。
サイトへのアクセスの件数が2月末に急激に増え始めました。単純計算で1日1000件にはなるでしょう。そんなところで検索2位が表示されました。ベストテン内にいればひとまずは目標到達ですからいささか出来すぎです。安定的な地位かどうかはまだわかりません。
ただ不登校情報センターのサイトの入り口は複数あるので、なぜアクセスが急増したのか、変化をどう評価するのかは、より詳しく見たほうがいいという感触を持っています。
(1)最も急激に変化したのは〔WikiFutokoトップページ〕です。Facebook、ツイッターなどの受入先にもなっているので、ある意味ではそうなりやすい条件があります。
(2)逆にアクセスが減少したのは〔トップページ〕です。〔WikiFutokoトップページ〕のアクセスが増えても自動的にここが減少する理由にはならないはずです。
(3)その他、「イベント情報」、「センター便り」なども変化を見る必要があります。
Googleのページランクと「不登校」の検索順位で、アクセスが急増したことはわかりますが、それだけではない変化を感じているところです。可能な範囲で調べようと思います。

内閣府・子若法のレクチャーを受ける

3月23日、内閣府の参事官補から「子ども・若者育成支援推進法」と「子ども・若者育成支援施策」(略して子若法=コワカ法というようです)についてのレクチャーを受ける機会がありました。先月発足した「かつしか子ども・若者応援ネットワーク」のメンバー14名が参加しました。
1時間程度の説明と質問時間でした。この取り組みの大枠を理解するためのものです。
私は、3月10日に書いた「引きこもり支援の基本視点を思い巡らす」の“産業経済の変化”という問題意識でこれを聞くように努めました。レクチャー後の質問もこの点に絡ませることをしました。
子ども・若者支援のベースには就労、あるいはその前提としての社会経済の問題があります。そのあたりがコワカ法とその施策にどのように取り込まれているのかが質問点です。
この取り組みは自治体を中心に各地に民間と行政が協力して進めていくものです。そこに参加するメンバーに就労や雇用に関わる人がどう関わるのかに左右されます。
コワカ法と施策では地域若者サポートステーション(サポステ)がそれに参加する就労の代表例に挙げられていましたが、位置は高くはありません。サポステ以外の就労・雇用関係者はさしあたり見つかりません。
取り組み、運動の経過の発展したところで問題が浮上してくるのでしょう。不登校情報センターの歴史もそのようなものでした。初めからそこには行かないし、届かないと思います。まずは教育のところ、それと並んで福祉や医療・心理相談のレベルの対応があり、その分野の関係者が参加するのでしょう。
このような運動は途中から運動の性格が変わることは期待できませんから、そこが一つの限界線といえそうです。運動が地域単位に進められるので、その境界を突き抜けるところが出ないとは限りません。それを注視するとともに不登校情報センターの取り組みとしてはその点を意識していくことになります。
時間がないし、内閣府事項ではないので詳しく聞くのは止めましたが、確かめたいことが生まれています。
(1)精神障害者を中心とする短時間労働者、私は3つのパターンに気づいていますが、「短時間労働者」の法律的な定義はどうなっているのか。3パターンの全部は入らないのかもしれません(?)
(2)短時間労働者はその収入だけでは生活できるだけの収入が得られない状態が生まれます。そのばあい生活保護、障害者年金制度はどう活用されるのか。または短時間労働者自体の生活保障はどうなるのか。
(3)コワカ法は「困難を有する子ども・若者やその家族を支援」することを基本的方向の一つとしています。この点から不登校情報センターのように引きこもり経験者のフリースペース・ワークスペースは支援機関として障害者訓練、障害者雇用に準じる場として認められる可能性があるのか。
(4)アウトリーチとして訪問活動を指摘されましたが、具体的な展開はありませんでした。現状の把握はどうなっているのか。
(5)地域・自治体単位で取り組む行政の担当部局は「青少年」の付くところが多いようです。時間をおいてから何らかの情報収集することが考えられます。
このあたりがこれから確かめ、課題になるところでしょう。