忘年会・クリスマス会を兼ねた12月の不登校の親の会が中止になりました。設立後十数年の親の会で、コロナ禍第三波の影響です。今年の春ごろから中止が続き、9月に再開して、先月はやっと6名が集まり、これから再出発の時期でした。
当事者が運営するところだけではありません。自治体主催のイベントもひきこもり関係にかぎらず相次ぎ取りやめです。自然災害なのでやむをえません。しかし、この自然災害は、どうやら人間の活動が絡んでおり、環境問題と考えられます。
一方、ひきこもり当事者に話を聞くと、コロナ禍といっても生活に大した変化はありません。もともと外で活発に動いているわけではないので、変化がないというのももっとものことです。マスクをする人が90%を超える生活のなかで、気持ちが少しは楽になった(顔の表情が隠れるのでメンタル面で楽)感想があります。しかし、コロナ禍が過ぎたらまたマスクのない生活に戻るのにちょっと不安があるという人もいます。
人との接触することがひきこもりから抜け出すのに不可欠な過程なら、それが大きく制約されている事態です。
コロナ禍に注目されたのはエッセンシャルワーカーです。医療・介護・食糧生産・小売業・公共交通など生活に欠かせない仕事をする人たちです。
『ひきこもり国語辞典』のなかでも、「三日が限度・四日は無理」としてパート勤務ながら介護についているひきこもり経験者の状態などを紹介しています。他にもひきこもりながらではのエッセンシャルワークになる働きを紹介しました。
そのなかで最も大きな発見は「主夫」です。家事をする男性。ひきこもりながら炊事・掃除など家事を分担する男性は少なからずいます。「家事テツ姫」は女性です。ある女性が家事手伝いは、正当に評価されていない仕事という問題意識を発表してことがあります。それは家事労働が、GDP(国内総生産)にカウントされていないことによるものです。エッセンシャルワークへの注目をGDPに反映されない労働、家事労働に目を向けさせるきっかけにしたい気がします。
ひきこもりと周辺事情に関する当事者・家族・周辺の人たちによる体験発表と意見交換の場にします。 投稿はメール(info@futoko.info)でお送りください。 FAX(03-5875-3731)や 手紙(〒132-0035 東京都江戸川区平井3-10-4 不登校情報センター) も歓迎しますが、文書入力に時間を要すので遅くなります。
投稿文を原則としてそのまま掲載しますが、やむをえない時の例外として一部リライトします。 特定グループへのヘイトや個人攻撃内は掲載できません。
投稿には次の属性を載せます。 名前(ペンネームなど)、性別・ジェンダー、年齢・年代、 住所(都道府県、東京都は区、政令都市名、海外は国名)。
◎メール希望ですので、メールを送っていただければ転送します。=事務取扱
ニックネーム:ユウ・リン
年齢:44歳 性別:男性
職業:自宅療養(将来は農業従事者&個人事業主)
はじめまして この度はweb版ヒキコミにてメール交換希望の為の自己紹介をさせて頂きたく思い投稿させて頂きました。
私は地元の中学・高校を卒業した後は、住友重工業の子会社で船舶関係の保守・メンテナンスの仕事をしたり、また時には製造関係の職場で働くことなどもしていました。ですが18歳の時から発病した不安障害で薬を福用するようになってからは、次第に体力的にも精神的にも辛くなり仕事を長く続けられなくなりました。ちなみに不安障害の他にも作業の同時平行が出来ない、口頭のみでの指示が理解出来ない、そして電話対応が出来ないなどの困難さも抱えており何重にも苦労しました。
なお、その後は一旦仕事からは離れて地元の引きこもりの当事者会に参加するようになりました。注:当時はまだ引きこもりが障害や病気とは認められず法的な制度も利用出来なかったのを覚えています。
ですが、一方では生まれて始めて生きた心地がして(身構えることなく)仲間との信頼関係が出来たのはとても嬉しかったです。今思いますと食事会や旅行も出来て楽しかったですね。
ところで引きこもりのグループの人間関係に慣れて数年が経った後は、新たに何かに挑戦したいと思い単身、語学を勉強してオーストラリアやイギリスにホームステイ体験をしに行くこともしました。元々海外に興味があり、更には西洋史学や東アジア史に文化人類学も好きでしたので本当に貴重な体験でした。
ちなみに帰国後はそれまでの生き辛づらさが、子供の頃からですが自閉症に起因するのではないか?との疑念を晴らす為に大学病院に半年以上通いました。そして、やはり!知的障害のない自閉症もあったのだと知る事となりました。
注:診断名は広汎性発達障害
その後はトントン拍子で障害者手帳も取得して、また職業移行支援機関も利用して始めて障害者雇用で働くことも出来るようになりました。注:独立行政法人『職業センター』の職員の方々には今でも本当に感謝しています。
自分はその時に始めて長く安定して働ける職場を得る事が出来ました。ちなみに横浜市内の食品会社の本社でシステムの仕事を手掛けることになりました。順調に収入も得ることが出来て結婚もしました。親から独立も出来ました。
ですが、数年経ったある日の津波と地震(東日本大震災3月11日)の影響で職を失い再び不安定な生活を始めることになりました。離婚もしました。その後は障害者雇用での就職が困難でしたので、障害をクローズして一般雇用で働きました。ですが、長時間勤務で身体を壊してしまい入院もして今日に至っています。
今ではかなり体調も良くなりましたので再び働く方向でいます。また現在では自然農法の農作業に興味がありますので、地元の特例子会社を通して農業に従事することも考えています。自然と生き物を相手に生きて行けたら嬉しいですね。
かなり長くなりましたが、自分は得意な分野や個性を伸ばせたら、どんなに生き易くて幸福な人生を送れたのかと何時も考えてしまいます。でも人生はまだまだ長いですから、これからのことも考えて行きます。
ところで自分の趣味は、カラオケで唄ったり音楽を聞いたり、そして神社巡りをすることです。またアニメも好きです。『艦これ』や『ガルパン』などが主に好きですね。ちなみにアニソンやイラストも好きです。
こんな感じの自分ですが、もし宜しければ文通でではなくてメール交換が出来る仲間が出来たら嬉しく思います。再び、人と人との血の通った交流が出来たら嬉しく思います。なお、自然農法や自然と親しむ事が好きな人も良いですね!
はじめまして。年齢は49歳の独身です。
私は22歳の時に仕事のストレスで統合失調症になりました。
6か月入院して自宅療養、しばらくしてまた働きだし30歳で再発、5か月入院。その後、デイケア、作業所など5年ぐらい通って体調が安定してきて現在まで体調を崩すことなく毎日頑張って生きています。
2017年の6月に就労移行支援事業所に通い出し、2019年の6月、2年間の期限ギリギリで現在の会社に障害者雇用で就職できました。
薬を服用していますが、10年以上体調には問題はありません。家族構成は両親と姉がいます。
何を書けばよかったのかわからないのですが、病歴は以上です。誰かのために私が役に立てばと思います。よろしくお願いします。
3日ほど前に次の便りが届きました。文通ではハードルが高いのでメール交流を希望しています。よし!と思われる人は不登校情報センター宛に I.Mさん宛の返事(自身のメールアドレスを含む)を送ってください。こちらから彼女に転送します。6月16日
知り合いになりませんか
私は43歳で香川に住んでいます。自営業で既婚です。子供ナシ。
趣味は絵と読書です。ひきこもり傾向があっても社会に出ていたことのある人、出たい人、仕事を転々としているタイプの人と知り合いたいです。
“ひきこもり”がキーワードとなったあの事件でイロイロ考えたり、昔を思い出したりしてつらい時もありました。
考えすぎはよくないですね。文通というよりは知り合いを増やしたいです。少しでも興味があれば手紙下さい。交流はメールでやりとりしたいです。
仕事の悩みや対人関係の話をお互いにしてはげましあえるような交流になればと思っています。マンガやアニメの話も好きです。 香川県 I.M
下書の手紙を受け取りました。
文通ボランティア募集に答える手紙ですが、私(松田)は「統合失調症」の人たちに交流を呼びかけてみたいと思います。
心当たりの方は、ご自分の状態を紹介するか形で、この投稿者(K・Sさん)と文通してみませんか。不登校情報センター宛に手紙と転送用に切手をお送りください。
◎この方へのアドバイス的なことは避けてください。
〒132-0035 東京都江戸川区平井3-10-4 松田武己
<初めまして、私は統合失調症です。この病気になって4年になります。
私も文通を通して同じ気持ちの人たちに今の私にできることをしたいと思っています。
私はいま、いろんな心と身体にひどい症状があらわれていますが、家族は本当に理解しているのかさえわからず、本当に今は不安と恐怖の中にいます。
なので同じ気持ちの人と文通できるなら、私もしたい気持ちです。
相談する相手は、私には病院の先生しかいません。
私も同じ気持ちなので、気持ちをわかってあげたい気持ちでいますので!!
私自身もつらい状態なので、なおさら気持ちの役になってあげたいんです。
現実、私も不登校でした。
九州に暮らしていますが、役に立てればいいと思い、こうしてペンをとらせていただきました。>
*ご住所、お名前は直接にやり取りをした後に交換してください。
匿名希望
このころ、優生保護の考えから非妊の手術を受け、子供ができなくされた方たちのニュースがよく流れている。
昔の精神科医は、患者から子供をつくる権利まで、本人の同意なしで奪ってきた。
今になって大きな問題になっているが、証拠もなくなってきて、本人たちにとってはもはや取り返しのできない人生の大問題だ。
ここで「昔の精神科医はヒドかったんだなァ」などと思ってはいけないと私は思う。
今の精神科医もまだまだ非人道的なところがかなり温存されていると感じている。
というのは精神科医の協会が発行する冊子に、精神科医は保身のために銃を持つべきだという考えの論文が載せられていたというニュースをネットで見たからである。
しかも、それに対して一般の人たちは、大多数の人は精神科医が銃を持つことに賛成していたのである。
私にとってはかなりショックである。
精神科医が銃を持ちたい理由は患者からよく怖い目にあわされたことがあるかららしいが、今でさえ医者と患者は権力が違いすぎて対等に話もできないのに、銃など持てば患者は怖くて、医者の意のままになってしまう。
医者のやり放題になってしまう。
もう一つ、私は一般の人たちの意見がほぼ全員、精神科医が銃を持つことに賛成していることにもショックを受けた。
賛成理由はさまざまだが、一般人たちは「自分が精神科医の世話になるなんてありえない」と思っているからだろう。
これから先、仕事で鬱になって精神科医の世話になるかも知れないという想像力がないのだ。
これもとても怖いことである。
こういうニュースも見た。
精神科患者全体の4分の1が、体の拘束を受けた経験がある。
それに対して一般の人々のコメントは「あたり前、問題ナシ」というものだった。
実は私も入院していたことがあるのだが、その時その病院の非人道的なやり方が問題だと感じ(診察が週1日、病名あかさず)、患者の権利を守るための相談所があると知って相談しようと思ったが、同じところに入院している人から「そんなことしても無駄だよ」と言われて、怖くなったことがある。
こんなところよく出られた。私はサバイバーだ。
優生保護法で非妊になった方たち、そして一歩間違えばまだ入院していたかもしれない私。
「あれは昔の話では」―あなたはそういうかもしれない。
でも患者と精神科医の間にあるあの見下した空気、権力。
今の精神科医と昔の精神科医に大きな違いはない。
銃を持ちたいというおごった考えは捨てるべきだ。
〔2018年7月〕
こんにちは。
文通を通して、不登校の方がどんな気持ちで毎日を送っているのか、これからどう前進していけるのかを、一緒に探っていけたらいいなと思い、ボランティアに応募しました。
私は、自分の気持ちと向き合った結果であれば、学校へ通わない、という選択も良いのではないか、と思っています。将来に何の不安も、恐れもなければ、家で伸び伸び暮らしていけることが、今はぴったりなのだと。
一方で、心に問題を抱えていることで、不登校になる方がいることも、分かります。そんな心を少しでも和らげ、癒す、そんなお手紙を綴っていきたいなと思っております。
私がしたことのない、人生経験を積まれている方と交流することで、今までになかった気づきや喜びを感じられると信じています。
様々な方と交流できることを楽しみにしています。ボランティアに参加できること、心から嬉しく思います。どうぞよろしくお願いいたします。
自己紹介(一部伏せます)
氏名:〇〇真子
住所:岩手県
性別:女性、18歳
職業・状態:一人暮らし・短大生
普段は栄養士の勉強をしていて、今は3月いっぱいまでの長い春休み期間です。
新しいことにチャレンジすることが大好きで、披露宴や婚活パーティ、ネイルのアルバイトを次々に始めたところです。
高校ではもともと合唱が好きだったこともあり、合唱部に入り、今も合唱サークルを続けていて、毎日とても充実しています。
香川県 I.M
私は42歳の既婚の女性です。仕事もどうにかしていますが、片親で一人っ子、運動が苦手で絵が好きな子でした。小、中といじめにあい、20歳の大学のときにショックなことがあり統合失調症で入院しました。
学校は退学し、母とゴタゴタして28歳までひきこもり。母がまた検査入院といいだして28で検査入院。そのまま病気でもないのに薬づけにされ78キロまで太りました。
薬で好きなイラストも描けなくなり、このままでは私の人生がなくなると思い、やっとの思いで大学に編入して医者とは手を切りました。
編入した大学を卒業したのが30歳。その時初めてバイトして6か月、その次は派遣で6か月働きました。3か月の仕事や1か月の仕事もしました。
つらい人生前半でしたが、35のとき結婚できて、人として息をつけました。
42歳になった今、みなさんに参考になればと思うことが4つ+あります。
(1) 医者と手を切ってください。
「医者と手を切って」というのは、いちばん難しい問題で、個人差も大きいのですが、やはりひきこもりは病ではありません。親は心配から病院に連れていきたがります。できればそういったことではなく、やさしく家で興味ある仕事分野の話をしながら、一緒にバイト探しをしてほしいです。
医者は何かと検査入院と称して入院させようとします。医者はお金儲けなのだと気づいたときは、バイトさえ受かりにくい年になっていることだってありえます。
私は仮入院と称して半年間入院し、76キロまで体重が増え、薬づけにされ、イラストも描けなくなりました。K市S病院はとても非人道的なものでした。一生医者とかかわっている人もいます。なかにはよい医者もいますが、よい医者かどうかは見極めてください。
(2) 異性と出会ってください
私が医者と手を切れて心の安定を得られたのは、良い異性に出会えたおかげです。つらい気持ちをかかえて出会う人も悪人ばかりの20代。でもたった1人、今の旦那さんと出会えて良かったと思っています。
10人悪人としか出会えなかったとしても1人自分ときちんと話してくれる人と出会えるだけで、人は変わります。好きなアニメの話で、話が合いました。
母よりその人のほうが優しいということに驚きました。ある意味その人が私を育てなおしてくれたようなものです。
女性は幸いなことにひきこもっていても家事手伝いで婚活できます。バイトをしていても正社員でも、男性から見たら大差ないのです。
若い時間はよい異性に合うための時間です。ひきこもりながら、たまにバイトして、異性との出会いをつかんでほしいと思います。(しかし、最近ではぶっそうな事件があります。出会い方には用心してください)
(3) 親に期待しない
親については、みなさんそれぞれが思いをもたれていると思います。私も親の心ない言葉に死のうと思もったことが百回くらいあります。もう親の言葉にふりまわされて傷つくのはやめて、受け流すのが大切だと最近人に教えられました。年下の女性です。自分は自分、親は親と思って過度にふりまわされないで、まず自分がどうしたいかだと思います。
そして親に期待するのもやめましょう。どうせ何もしてくれないのだし、最初から期待しないほうがいいです。自分がどうしたいか決めて、自分で動くのがいいと思います。
1回、ひきこもり親の会というのに行ったことがあります。親たちの様子としては、「何でうちの子が…フツーに育てたのに…身に覚えがない」というような考えの親御さんも多くいました。自分の子がひきこもったのは自分のせい(かもしれない)という自覚はありません。なぜかわからず戸惑っている感じです。
そしてこのタイプの親御さんが、とりあえず医者に見せようと考え入院させたという感じでした。親は案外、自分が悪かったとわかってないというのが、私の実感です。
なので、子育てが不得意な親のところに生まれてしまったとあきらめ、自分は自分として生きていくほうが幸せになれると思っています。
*母との親子関係について―あゆみ書店から『少女まんがに描かれた母親像』のタイトルで300円の冊子が出ています。親との関係は一生続きます。今後は、母親の老いという問題も出てきます。何年か後に母の世話をするようになる時もくるかもしれません。
(4) 仕事は続かなくてOKというスタンスで良い
仕事やバイトにしてもそれぞれ個人によって違います。これは私の独断と偏見の話ではありますが、バイトを休み休みしながら、婚活できる人はするのも良いと思います。
私は初めてバイトしたのが30歳で6か月、その後の派遣でも6か月くらいで仕事を変えています。1か月しか続かないことも時にありました。今は派遣が多いですが派遣の方が入りやすくてやめやすいという感じがあります。
転々としても、1か月しか続かなくてもかまわないというスタンスで、世の中少し見てこようという気で入ったらいいと思います。ひきこもりがあると案外、派遣のほうがいいと思ったりしました。私には対人恐怖があり、他の人と一緒の食事が苦手です。1年以上同じ仕事ができる人はえらいと思います。だからと言って遠慮することはありません。
(5) そして新しい夢を持って
最期にみなさんに申し上げたいことがあります。それは新しい夢を持ってください、ということです。私の場合はイラストや便箋をつくったり、英検を受けたり、ひきこもりながらやってました。英語の勉強や資格はほとんど役に立ちませんでした。
絵画の方は地元で絵画サークルをつくって、年上の仲間ができたりしています。勉強や資格よりも趣味を伸ばして、同じ趣味の人を見つけるのも良いと思います。また、自分の店を持ちたいとか、お金持ちになりたいとか、彼氏がほしいとか、普通の人が思うような夢でいいのです。夢があれば、それに向かって行動すればよいのです。
何かの本で、地球は行動の星だと聞いたことがあります。良い気持ちで行動すれば、その人に良いことが起きるそうです。家にいたのではせっかくのよい気持ちも行動で表現することはできません。みなさんのなかにもすばらしい夢があると思います。それを見つけて、かなうように行動してください。それはきっと楽しいことであると思います。
長い文章を読んでくださり、ありがとうございます。今まで辛い思いをした分、これからはみなさんに良いことがありますように。私の経験が何か1つでも役に立てたらうれしいです。 香川県 I.M