ひきこもりからの社会参加(その1)
ひきこもりからの社会参加(その1)
今年3月に第12回全国若者・ひきこもり協同実践交流会が開かれました。
その準備過程の実行委員会でちょっとした意見が交わされました。
この全国集会は当初「支援者交流会」でしたが、途中から「実践者交流会」に変わりました。その意味を問うものでした。要点をいえば支援対象者であったひきこもりの中から支援者側に回る人たちが相当に表れた。この事情をより適切に表現する方法を集会名に取り入れたということです。
ひきこもりの当事者が各地の団体グループに加わっている状況は顕著のようです。私が知りうる範囲でもいろいろ見ることができます。
私の言葉遣いを振り返るとこうなります。20年以上前にひきこもりから抜け出す方法は「就職」でした。仕事に就くことを目標にして人材養成バンクなるものを提示し受け入れ先事業所を探したこともあります。
人材養成バンクの取り組みの動きを終了して、しばらく後に使い始めた言葉は「社会参加」であり、ときおり「社会の一員として生きる」を使いました。
これは一面では目標の高いハードルを下げるものでしたが、実情に見合った取り組みを進めるベースにしたものです。基本的に今日まで使い続いています。
ひきこもり当事者が支援する側に回るというのはこの「社会参加」と重なります。それは就職し仕事に就くこととは矛盾しません。連続する過程になることもあるし、並立することもあります。各人の条件に合わせて仕事に就きながら、当事者が支援する側に回る状態は少なからずあります。
この状況をどう見るのか、それは何を示しているのか、その可能性を考えてみたのです。
入り口はこの2つ(社会参加と仕事)です。
そこに入る前に1つ確認しておきます。ひきこもりは身体的な症状によるものではなく、対人関係の不全感の蓄積から生まれるものが中心です。なので多くは医療の対象ではありません。
*身体的な症状によるひきこもりもいます。なにしろ「いろいろな要因から」ひきこもりは生まれるのです。それでも一般論として病気や精神病予備軍と扱うわけにはいかないのです。
2つの入り口とは、社会参加と仕事に就くです。
両者は重なる部分もありますし、矛盾するのではありません。しかし、分けて理解するのがわかりやすいし、正当だと思います。
(1)社会参加とは、対人関係づくりから、居場所・当事者グループへの参加、社会運動的な動きまでの幅広い状態があります。これは一連の動きです。
(2)仕事に就くとは、ボランティア活動、パート労働・アルバイトから常勤的な仕事まで、これもまた幅広い状態があります。
(3)そしてこの両側面が融合するところが仕事おこし(起業)です。ここも幅広い状態があり、趣味的な小遣い稼ぎから生活基盤にできる自営業・自由業までいろいろな状態があります。
ここでは「社会参加」の面からこの過程を述べるつもりです。ところで長くなるので、ページを改めます。
〔2017年9月18日〕