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Center:他者がカルト的に見えるとき

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2013年12月22日 (日) 00:05時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
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他者がカルト的に見えるとき

〔2010年07月24日〕
7月5日付けのTさんのコメントは次の3点が書かれています。
(1)不登校情報センターはカルト集団みたい。
(2)ワード、エクセルなどの技術・知識レベルでは就職できない。
(3)生活保護、障害者年金を受けていても、いつ打ち切りになるのかわからない。
不登校情報センターのみなさんは就職できない、社会福祉制度は利用できない、
でもカルト集団だから自己責任をとって破綻しなさい、という展開のようです。

この荒唐無稽な展開に生真面目な答えはよせばいいかもしれませんが、気がかりなので答えます。
それに、引きこもっている30歳を超えた子どもとの会話が、これに似た「何でも悪いように悪いようにとって、自己否定感ばっかり」で、辟易しているある母親がいます。
その親の気持ちも考え、書いてみる気になりました。
コメントも紹介しますのでたぶん2回になるでしょう。

(1) 他者が“カルト的集団”に見えるとき
Tさんも上記の青年も精神的にかなり追い込まれています。
出口をすべて塞がれた小さな個室に閉じ込められ息苦しくなっているようなものです。
世の中で働いている人はそれに比べてなんと自信に満ち恵まれていることか。
その人たちは何かをもっている、それなのに自分には何もないと思えるのです。

世の中で働いている人の様子を“根拠のない楽観に基づくもの”とある人が表現しました。
私の観察では、乳幼児期に“あなたが生まれたことは人間世界で歓迎されているよ”という暖かい雰囲気を過ごせた人です。
そういう人たちは何か特別の能力を持つわけでもないのに“根拠のない楽観”を身につけているのです。

J.ルソーのいう「人は二度生まれる。一度は存在として、二度目は人間として」というときの、はじめの誕生の意味はこれです。
ところが誕生したあと、愛護を受けた感じが少ないと、存在不安をもちやすいのです(存在不安の全部がこれによるというのではありません)。
この存在不安が思春期以降、青年期になっても現れるのです。

引きこもりの経験が長く、その人が乳幼児期に不全感をもっていると幼児感覚・乳児感覚が強まります。
存在不安はこのようにして表面化するのです。
状態が重いと精神障害になりますし、軽いと子どもっぽい程度です。
乳幼児感覚では、周囲の人たちは敵に見えます。
自分を守ってくれる保護者を必要とし、それが不十分のときは自分で周囲に精神的な壁を張り巡らします。
おどおどしている、緊張している、表情がとても硬い、打ち解けないなどは性格も関係しますが、主にこの精神的な壁の作用です。
精神的に強くなると壁は不要になり、消滅するのです。

そういう重い状態にある引きこもりの人から見れば、この世の人たちは何かにとり付かれたように元気です。
その事態を理解するために自分なりの理論を作り出す人もいます。
この事例を私は『ひきこもり――当事者と家族の出口』で紹介もしました(2006年、子どもの未来社、p199~203) 。

実際、そこで紹介した人は正義をエゴ、人殺しの道具、テロリスト…と感じ、
自身を統合失調症か自閉症と診断されるだろうと述べています。
Tさんは相当に追い込まれ、鬱を発症したといっています。
この点は一つの気がかりです。
追い込まれると、相手や周囲の問題が際だってくるのです。
それがバランスを超え、正常域を超え、極端になるのが心配です。
他者がカルト的に見えるのはこういう精神状況のときだからです。
優れた文章力があるのですから、その能力を生かし平常心を保つように事態を書き進めていただきたいものです。
論理的に抑制的に事態を表現して欲しいのです。
書き殴るような書き方で、推敲を省略するのは、精神生活において事態を悪化させるのではないか、素人判断ながら気にかかります。

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