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ひきこもり理解のテキスト草案

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ひきこもり理解のテキスト草案

2019年から2020年ごろに書いたもの
会報30号(2019年10月号)に『ひきこもり国語辞典』はひきこもりを理解する手掛かりにというエッセイにしました。
その後、11月半ばに出版社から『ひきこもり国語辞典』の出版する連絡を受けました。10月初めに見出し語は400語だったのにいまは500語を超えました。
この過程で、怒りの表現が潜んでいるのに気づいていないのではないかという指摘を受けました。また愛情希求がにじみ出ているとも思いました。12月に入ってからは、ひきこもりの当事者視点で見直そうと、全体を読み直しました。当事者視点で表してみたらリアリティーの高いものになった気がします。
その結果、10月号に書いた“ひきこもりを理解する手掛かり”、テキストになるという点がさらに明確になったようです。今回はいくつかの見出し語を紹介します。その点が確かめられないでしょうか。手作り本『ひきこもり国語辞典』にはない追加した約200語のなかからいくつか紹介しましょう。

もちろんこれらのことばが全部ひとりに当てはまるわけではありません。これらを読んでいくと、ひきこもりの心情や状態が具体的にわかっていくと思います。
当事者が読むといろいろなことばが、自分の気持ちや行動に重なるのではないかと思います。いやひきこもり当事者でなくとも(家族の方にとっても)そこまではっきりはしなくても、なんとなくわかる、自分にもそういうところがある、という感触を持つのではないでしょうか。
その先に行くと、少なくとも『ひきこもり国語辞典』に紹介されているひきこもり当事者は、きわめて日本人であることに納得がいくと思います。
『ひきこもり国語辞典』を多くの人たちに、ひきこもりの当事者に、共感を得る周辺の人に、家族に、支援者や対応する行政の担当者に手に取って読んでいただきたいのはそのためです。
✖  ✖
ひきこもりの生活、行動、言葉など、すなわち「ひきこもり」はなかなか周囲の人には理解しにくいです。いったい何を理解すればいいのでしょうか。
人を理解するのは一緒に行動する、ことばを交わす、生活を見聞きするなどによります。ところが言葉は少ない、行動も少ない、それどころか姿も見せないのがひきこもりの特徴かもしれません。
理解として広まっているのは「ひきこもりはしてはいけないもの」「抜け出せば、それが解決になる」という形のひきこもり否定論です。 理解するよりは理解できないので否定する気分と言った方がいいのかもしれません。
このような否定的な理解に囲まれているのがひきこもりの現状です。
また「このままの生活が続けば生活自体が立ち行かなくなる」。さらには「家族や社会の負担がたいへんになる」という現実的な事情も絡んできます。
それらは家族の困難、当事者の不安感の根拠になっていると思います。それがひきこもり一般を否定することにつながります。
これほど多くの人がひきこもるのは社会的にも重要な背景があると思いつつ、私も当初はその気持ちからひきこもりにかかわり始めました。それが徐々にわかり始め、事情がわかるにつれて別の面も見え始めました。彼ら彼女らが身をもって示すひきこもりには意味がある、むしろ肯定的にとらえたほうがいいものもある。そういう境地にたどり着きました。といってもひきこもりは多様であり、すべての事情を肯定的に見るのではありません。

不登校情報センターを名乗り始めてから、私の周りにはひきこもり経験者が徐々に集まり、居場所の状態ができました。身近に関わるようになった彼ら彼女らはいろいろなことを教えてくれます。私は支援者というよりもフィールドワーク型にかかわる場所の提供者になりました。
初めのうちは彼ら彼女らをどうかするかはわかりません。そこは彼ら彼女らの事実から始まるしかないと思いました。諦めているとか見放しているのとは違います。将来を見据えて外側から何かの軌道に乗せるとかプログラムを設定していくのとは違うと思えたのです。彼ら彼女らの現実、すなわち過去の総体としての今、を見ることになったわけです。未来を見るには過去を詳しく見ることが大事だと教えられたのです。
彼ら彼女らがしていること、動き始めたことのなかで、私にできそうなことがあれば手助けする、意思表示したことを応援する。それが私のスタンスになったと思います。そのために好きなことは何か、何が得意か、何をしようとしているのかをよく見ようとしていたはずです。彼ら彼女らのなかには観察されているみたいだと言う人もいました。感受性は鋭いのです。
そのなかで私の側にできそうなことも少しずつわかり始めました。いろいろありますが、自己表現を応援することもその一つです。創作活動もそうですし、日常の言動自体が表現です。この『ひきこもり国語辞典』は日常の言動を採集したものです。

「メンタル当事者のことわかってないなあ、もう」
ひきこもり当事者を、外側に出ている「たおやかさ、優しさ、純粋さ、配慮ある態度、不器用さ」に感動して、長所として生かして、一般社会の人に理解されるべきと考えなのですかね。当事者は「遠慮がちの防衛態度」を誉めてもらって嬉しいかどうかといえば、あまり嬉しくないと思います。
防衛しているのは外側の自分で、本当の自分ではないのです。本当に着たい服ではないけれどこれを着ていないと自分を守れない、これしかないので、着ているのだと思います。仕方なく着ている服を誉めてもらっている、といった雰囲気に近いです。
でも当事者の代弁してくれる人にわかってもらいたいのは、武装した優しさではなくて内側の激しさの方です。胸の中でくすぶっている、怒りの感情の方が外に出たがっているし、わかってもらいたいし、出せるときを待っていると思います。

受け取った私はこの批判的なコメントはひきこもりの深い真実性を衝いていると思いました。当事者からの意見がひきこもりを理解するうえで決定的になるのはこのあたりです。私の編集スタイルがいくぶん関係するとは思いますが、“自己防衛的”と思えるのは、ひきこもり当事者の表現にそれを感じるからです。しかし、その表面で見ていては真相に迫らないと言っているのです。
コメントを寄こした当人もこれを「当事者の代弁してくれる人にわかってもらいたい」というのです。そこは家族には向けませんし、当事者間の理解でも慎重に扱います。そのあたりがコメント全文の紹介にためらう事情です。

いろいろな感情、とくに怒りが抑制的に日常的に表現されているのです。自己防衛的な表現の奥にこういう気持ちがあることを推測して理解していただきたいと思うのです。その他にもいろいろな表現のしかたを見ることができます。

多くの言葉(見出し語)には、それぞれの行動、表現、考え方の背景説明を示しています。また自分の言動に対する自分なりの理解の仕方が示されています。どう対処しようかという意志を示したものもあります。他にもいろいろな要素をあわせ持っています。その表現のほとんどは穏やかで遠慮がちです。攻撃的であるとか自己弁護に終始しているわけでもありません。
周囲の人には意見の違い、感覚の違いはあるでしょう。ですが、まずはひきこもりの生活や意見という言動が何を示すのかをいったんは受けとめてもらいたいです。
そのうえで次に進むようにお願いしたいです。それは予め決められた枠(仕事とか社会参加の形)に納める方法ではないと思います。当事者の彼ら彼女らを見ずして「ひきこもりはしてはいけないもの」「抜け出せば、それが解決になる」という調子であっては何の前進も生まれないからです。これまでの支援方法はそれなりの成果と前進を示したとしても特段の効果はない、教訓は当事者の現実に基づく方法しかないと判断するのです。
その意味で『ひきこもり国語辞典』は、私がこの二十年余りのなかで直接にかかわった人と見聞きしたものです(一部は手紙のやり取り)。私がかかわった人は一部にすぎませんが、多様な状態を示しています。当事者の現実を表しています。支援者にとって、ひきこもりのいる家族にとって理解する参考になるでしょう。
さらにひきこもり当事者にとっても、自分の行動や生活や言葉遣いを理解する一つの参考になるでしょう。そのように生かしてもらえれば嬉しいです。

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