ひきこもりUX会議
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ページ名ひきこもりUX会議、、(ひきこもりの動き)
ひきこもる女性たち 家事手伝い、主婦…可視化されにくく
ひきこもりの女性たちで立ち上げたグループライン。近くみんなで集まるという
「一歩外に出る勇気がない」と悩む
成人になっても長年外に出られず、家にひきこもっている女性たちがいる。
多くが「どう生きていいか分からない」「一歩外に出る勇気がない」と悩み、人生に希望を見いだせない人たちだが、「家事手伝い」などと見なされ、社会問題として十分に認識されていないのが現状だ。
彼女たちがひきこもった背景には何があるのか。社会で生きていくためにどのような支援が必要なのか。
「ひきこもる女性たち」の実態や支援する人たちの姿を追って考えた。(片山由紀)
「赤熊」と共に物流支える <ひと まち ターミナル>第3部 レッドベア出発進行 1
ひきこもりのきっかけ
「辞めさせたいんだな」と感じる
札幌市内に住むりょうこさん(46)=仮名=は20年間、ほとんど家を出ない生活を続けている。
ひきこもりのきっかけは高校卒業後に就職した職場でのいじめだった。
りょうこさんが書類作成でミスをすると、上司はりょうこさんにだけ、初めから書き直すよう命じた。
同僚から「あなたは会社のお金を横領しそう」と言われたり、通常幹部社員がやる仕事を押し付けられたりしたこともある。
「辞めさせたいんだな」と何度も感じた。
体調を崩し、8年で退社し、それから外に出られなくなった。今も精神科に通い続ける。
「何度も死のうと思った。働かなければならないと思うが、外は刺激が強すぎて疲れる。人と会うのも怖い」と語る。
十勝管内在住の千夏さん(23)=同=は小学校3年生で不登校になった。
体調を崩してしばらく学校を休んだ後、再び登校すると友達がよそよそしく、勉強も付いていけなくなった。
中学校からフリースクールに通い、通信制の高校を卒業し、道央の大学に入ったが、授業の課題や通学が負担になり、中退した。
今は地元に戻り、自宅で趣味の絵を描きながら病院でリハビリも続けている。
「なぜ自分は人と同じようなことができないのか」と自分を責めては落ち込むことを繰り返す。
「自分は生きていていいのだろうか」と何度思ったか分からない。
「崩れていく階段を上っている感じ。それでも、何とか一歩踏み出したい。胸を張れる自分になりたいんです」。
声を振り絞って語った。
「一歩を踏み出すきっかけが必要」
ひきこもりの経験がある女性らでつくる一般社団法人「ひきこもりUX会議」(東京)が2017年にひきこもりの当事者、経験者369人を対象に行った実態調査によると、回答者の平均年齢は37・7歳。
ひきこもりの時期は「10年以上」が全体の37%。「生きづらさを感じる」と答えた人は68%に上った。
また、ひきこもった原因(複数回答)で最も多かったのは「精神的な不調や病気」(70・5%)で、「コミュニケーションの不安」(58・8%)が続いた。
自身もひきこもりの経験があるUX会議代表の林恭子さん(51)は「ひきこもりの人たちはいじめやパワハラ、不登校などで傷付き、自己肯定感も低い。加えて女性のひきこもりは家事手伝いや主婦という肩書にくくられ、可視化されにくい」と語る。
林さんたちは昨年から、ひきこもりや生きづらさを抱えた女性たちが各地で集う全国キャラバンを始めた。
昨年は札幌など12カ所で開催し、552人が参加した。
毎回林さんらが自身の体験談を語った後、当事者たちによる交流会も開かれる。
約1時間半の交流会が終わっても、話は尽きず、当事者たちだけで話し込むことも多々あるという。
林さんは「ひきこもり支援というと就労ありきだが、多くの人は『自分がこれから歩む道が見えず、自分が生きていていいのだろうか』と悩んでいる。
まずは一歩を踏み出すきっかけが必要」と語る。
「一人じゃないよ、仲間がいるよ」
林さんたちの活動をきっかけに、ひきこもり経験者や当事者たちが互いを支え合う場も生まれつつある。
6月5日に札幌市内で開かれたUX会議の女子会。終了後、参加者の一人が帰ろうとしていたほかの参加者たちに声をかけた。
「札幌で女子会つくりませんか」
声をかけたのは札幌市内の会社員あやさん(32)=同=だ。
中学2年から不登校になり、高校も休みを繰り返しながら、何とか卒業した。
「あの時のつらかった経験があるから、今をよりよく生きたいと思える。一人じゃないよ、仲間がいるよと伝えたい」。
そんな思いで発した一言だった。
少し間を置いて声が飛び交った。「やりましょう」「ぜひ誘ってください」。
参加者たちがあやさんを囲み、連絡先を交換し合った。小さな輪が少しずつ膨らんでいった。
〔◆平成30(2018)年7/16(月)北海道新聞〕
「当事者が語るひきこもりの気持ち:林恭子さん」
林 恭子さん
「社会的ひきこもり」と呼ばれる人が日本に約100万人いるという。
その形態はそれぞれ背景によって異なり千差万別だ。
ひきこもりから脱した2人にその経験を語ってもらい、2回に分けてリポートする。
1回目は「ひきこもりUX会議」などの中心メンバーで自助会運営や啓発のためのイベントを開催している林恭子さん。
2回目は「ヒューマン・スタジオ」を設立し、相談業務や家族会を行っている丸山康彦さん。
執筆は、自らもひきこもり状態を経験し、現在は仕事のかたわら『ひきこもり新聞』の編集部員をつとめている石崎森人氏。
林 恭子 HAYASHI Kyoko
横浜市在住。高2で不登校。20代半ばまでひきこもりを経験。信頼できる精神科医や「ひきこもりについて考える会」での多様な人々との出会いを経て、30代半ばで回復に向かう。
現在は、NPOでアルバイトをしながら「ひきこもりUX会議」「新ひきこもりについて考える会」「ヒッキーネット」のメンバーとして活躍している。
石崎 森人さん(聞き手)
石崎 森人(聞き手) ISHIZAKI Morito
1983年生まれ。幼い時から生きづらさを抱える。
24歳から2年半ほどひきこもる。ひきこもりから脱した経緯や試行錯誤を『不登校新聞』で「ひきこもるキモチ」として連載。
現在は家族が起業した会社で社内情報システム、マーケティングや新卒採用の傍ら、「ひきこもりUX会議」や「ひきこもり新聞」の編集部員などの活動をしている。
高校初日「大学入試まで、あと何百何日」が引き金
――ひきこもったきっかけはさまざまな原因やきっかけの積み重ねだとは思いますが、林さんの場合はどうだったのですか?
林恭子 高校の入学式の日に、校長先生が「大学入試まで、あと何百何日」と言ったんですね。
それを聞いて、楽しいだろうと思っていた高校生活が、受験のためだけの場になってしまっていることに非常にショックを受けました。
締めつけの厳しい管理教育に対してそれまでも感じていた違和感が身体症状に出て、不登校になりました。
その後20代になり、なんとかアルバイトを始めましたが、通勤ラッシュや、寛容さのない同調圧力社会に違和感を持っていました。
それを周りに伝えても伝わらず、自分の方がおかしいとされ、だんだん思っていることを言えなくなり、20代半ば頃に限界が来てひきこもりました。
また、管理的で高圧的な母の言う通りに生きていたので、気がつくと「自分」がなかった。
だから思春期を迎えた頃、どのように生きたいかという方向性が見えず、自分でも分からなくなったというのもあります。
〔2017/12/6(水) nippon.com〕