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父が落ち着いたので僕も生きるのが楽に

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2016年11月6日 (日) 20:55時点における版

父が落ち着いたので僕も生きるのが楽に

H・T
私自身、15歳から17歳の間まで自宅に引きこもっていました。高校も中退しています。
その原因は何だったのか。それは家庭内でのことが原因となっていました。
当時私の家庭は父親、母親、姉、私の4人家族でした。
ですが、中身といえばそれこそ普通ではなかったと今は思います。
父親と母親は4年制大学を出ていませんが、とにかく私たち兄弟を小さなときから勉強させ、いわゆる良い大学に行かせようとしました。
その甲斐あってか、姉は私立大学の日本のツートップ校の一つの付属中学に進学しましたが、私は素直に勉強をせずに地元の公立中学に行きました。
小学校時代は勉強をしないでゲームに夢中になっていると父親からぶん殴られました。
中学生時代には、僕は父親に対してずっと不信感を持っていました。
「勉強が得意である必要があるのか。他のことが得意ではいけないのか」と。
僕の父親と母親は今でもそうですが人の話を聞くことが得意ではありません。
言いたいことがあれば、人の話を遮ってしまい、じっくり考えることを放棄してしまっています。
そんな父親だからこそ、空気を読めないことは当たり前で僕は中学時代から自宅でよく暴れるようになりました。
それも父親が何か変なことを言う度にというのが必ず条件になっていました。
自宅の壁に穴を開けるたびに、警察を呼ばれました。
父親への不信感は警察を呼ばれるたびに強くなっていきます。
どこかでその話を聞いたある学校職員に「こいつは自宅で暴れている」と他の同級生に暴露され、余計に原因となっている父親を恨みました。
もちろん、父親にそのようなことを話しても全くわかってもらえません。
お互いが信用してなかったからなのか、高校受験は行きたい高校ではなく、行ける高校に行くことになり、自分に選択権がまるでないようなものでした。
高校に入っても父親が原因で暴れることは変わらなかったです。
そんな時に「これを飲むと筋肉がつく」と言われて飲まされた薬がありました。
何だったと思いますか?
それは精神安定剤でした。
僕の脳内のドーパミン分泌を抑制する薬です。
騙されてその薬を飲まされたことで僕は自然と自宅に引きこもり何をするにもやる気が起きなくなりました。
暴れなくはなりましたが、嬉しいとも悲しいとも感じなくなりました、たった一錠の薬によって。
何も悪いことはしてないと思っている父親の行動に変化はありませんでした。
依然として、人の気持ちを考えない空気の読めない行動をとり続けたのです。
その一例として、引きこもる僕は太っていきました。
なぜなら、精神安定剤の副作用で体重が増えてしまうからです。
引きこもりが原因ではありません。そんな僕に父親は「引きこもるから、太る。外に出ろ」とおかしなことばかり言います。
父親が飲ませた精神安定剤が原因で引きこもることになり、その副作用でぶくぶく太ったのにやせるために外に出ろと言うのです。
こんなおかしなことはあるのでしょうか。
そう彼は自分が息子に飲ませた薬がどういう作用、副作用があるか調べなかったのです。
こんな状態が1年ぐらい経った頃、父親に連れられてキックボクシングの試合を見に行きました。
久しぶりにまともに出た外でキックボクシングは今思えば相当刺激が強いはずで、その時ばかりはドーパミンが分泌されました。
私自身、もともと格闘技が大好きということもあり、結局キックボクシングを始めることにしました。当時16歳でした。
キックボクシングのおかげか薬をやめる勇気が出てきました。
この翌年、僕は薬を断ち切り、晴れて引きこもりから脱出することができました。

ここからは、私の独断と偏見による私見です。
僕自身、引きこもったことで、その何もしていなかった時を取り戻すかのような快進撃が始まりました。
高卒認定を取り、猛勉強して明治大学に合格し、受験時代に一度やめましたが、キックボクシングを今でもやっています。
今では父親が落ち着いたことで僕も生きるのが少し楽になりました。
意外と思われるかもしれませんが、僕自身引きこもりの経験があってよかったと心から思っています。
なぜなら、それがなければ、今の自分という存在は間違いなく存在してないからです。 
親御さんからしてみれば、「明日にでも」という思いはきっとあるでしょう。
でも、それは現実的ではないです。
一歩一歩やれば必ずつながっていきます。
親御さんが苦しんでいるのと同様かそれ以上に本人はかつての私のように何かを思っているのです。
そしてその大半は端的に理不尽さでしょう。何かをするにも始まるのに遅いということはないです。
私は、人は何か一つくらい誰でも誇れるものを持っていると信じています。
それを見つけてほしいのです。雑学だって、運動だって良い。
両方なければその人には優しさがあります。やりたいことをやってほしいのです。
3km走りたくなって、3km走る体力がなければ、歩くことから始めればよいのです。
生きることに一つの正解はないのです。
周りからどう思われるかより、自分がどうしたいか、どうあるべきかが大事なことなのではないかとかつて引きこもり、不登校になった私は今、考えられています。

(編集子より)
H・Tは「父親がおとなしくなって、呼吸ができるようになりました」という名言を聞かせてくれました。

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