子どもの自立と親子の依存関係(1)
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2024年1月11日 (木) 12:11時点における最新版
子どもの自立と親子の依存関係(1)
〔『ポラリス通信』2015年2月号〕
あかちゃんは母体から出た胎児ともいわれ、親への完全な依存から人生をスタートします。
体が成長しハイハイし、よちよち歩きに、あかちゃん言葉を口にし、指差しで気持ちを表わし始めます。
母親への依存を通して依存から抜け出していくのです。
保育園に行くようになると顔見知りができます。
弟や妹が生まれるとまた違った経験をします。
家族や保育士・教師などの大人世界も横に見ることになります。
しばらくこの状態が続きますが、大きく変わるのは思春期を迎える小学校高学年あたりです。
周りの人の中で自分を発見し「こんな自分でいい」という感覚をえて、自立に向かいます。
最後は親との関係で、都合よく「反抗期」がここにセットされます。
だいたい17、8歳までつづきます。
これは理想的なモデルとして描いた成長コースです。
個人差は相当にあります。
人間ぐらい個体差の大きな生き物はいないそうです。
通常はこういう過程を通して子どもは成長し、自立をたどります。
この過程には親が関わります。
あかちゃん時代にはすべて泣くことで表現します。
眠い、お腹がすいた、おしっこ、痛い…などの泣き声です。
お母さんはこれを聞き分けるというからすごいというかうまくできています。
お母さんの生活はあかちゃんに完全密着です。
依存と問題視されることはありません。
反対だと育児放棄になり、ときにはあかちゃんの生死にかかわります。
子どもの成長とともに、親はこの状態から解放されていきます。
「手が離れていく」といいます。
ところが親にはこのタイミングや程度が自動的にわかるのではありません。
子どもの側がそれなりの表現をするからです。
そこを感じながら親も少しずつ「手を離して」いくのです。
ところがそうはなりにくい子どももいます。
静かでおとなしい子どもの場合です。
不登校やひきこもりになりやすい感受性ゆたかな子どもはそういうタイプです。
親の気持ちを察知する感覚がすぐれていて、表現を抑え気味にします。
小学校高学年や中学生になっても親子の関係が密着状態です。
子どもの方では“そうじゃない”とか感じながらも親に上手く伝えることができないでいます。
親はそこに気づかず「手を離して」いけません。
“うちの子はこうでなくては”という思いが残ってしまいます(逆に離れすぎや断絶になることもあります)。
「甘い」とか過干渉などといわれることもありますが、思春期以前には問題はそう表面化しません(保育園や低学年から登園・登校できない子もいますが)。
そういうなかで親の思いを余すところなく子どもに定着させようとすることになる場合があります。
思春期になると自分らしさと親の思いのズレを感じながら日々生活を重ねます。
問題は子どもの方から提起されます。
不登校はその1つの表現のしかたです。
きっかけ友達との関係、勉強の遅れ、教師のことば、祖父母の死……親子の関係とは無縁と思えるものがあります。
親子のズレに関係するとばかりは言えません。
ものわかりがいいと思っていた子ども、学級の中でリーダー的である子どもにも表われます。
周囲の子どもや人のことを大事にしていたのが、実は自分を抑えていた結果がこのような形で表現されるのです。
それまでは気持ちはその場で処理できたように見えます。
言葉もその場をやり過ごしてきました。
しかし、身体に蓄積された負担感を身体は処理できないのです。
このバランスをとれるようになるにはさらに成長が必要ですが、不登校やひきこもりという対人関係が少なくなっている状態では、成長もまた制限されていきます(このあたりは次回にします)。
思春期とは子どもでもなければ大人でもない過渡的な時期です。
これは通常の子どもの成長過程ではつきものです。
子どもの親離れも親の子離れも中途半端な状態です。
親子ともにチャレンジの時代です。
不登校や引きこもりになる子どもの場合は、この時期に親との関係における葛藤が大きいと思えます。
親の手のひらの上で演技する状態になる子どももいます。
親の承認を求めているように見えます。
親がどうであろうと自分の道をすすむタイプとは違います。
親はここで子どもの自立を促すように求められるのです。
いろいろな経過の中で曲がりなりにもそうする親が多いのですが、そうできない親がいます。
子どもの頼りなさを自分でカバーしなくてはならないという気持ちになるのです。
そう感じるのはある意味で自然でもありますが、程度があります。
子どもが自分から何かをしようとすると「あなたには似合わない」「もっといいことを見つけなさい」「そんなことをして何になるの」…。
そういう一方で「あなたが頼りだから」などといって引き止めます。
これは母親に表われることが多いです。
父親にも子どもの自立は妨げる感情や動きをすることがあります。
多いのは指示命令型、君臨型です。
家族内の一員なのに外部の第三者のように振る舞いやすいです。
親子断絶の典型になります。