Interview:左右の視力の差が大きいことと斜視の関係
52行: | 52行: | ||
[[Category:ザインタビューズ1|からだとけんこう]] | [[Category:ザインタビューズ1|からだとけんこう]] | ||
[[Category:ザインタビューズ1|せいかくきしつ]] | [[Category:ザインタビューズ1|せいかくきしつ]] | ||
+ | [[Category:斜視の集まり|2010]] | ||
===猫(キャリー・ケージ)=== | ===猫(キャリー・ケージ)=== |
2016年7月7日 (木) 19:48時点における版
左右の視力の差が大きいことと斜視の関係
たぶん2、3歳のことです。母と姉から聞かされたことです。
当時はまだコタツの中に炭火を入れていました。
そのコタツにもぐりこんでいたとき、突然爆発があったそうです。
聞くとその前に何かをコタツの中に持ち込んでいたらしいのです。
私には全く記憶にはありません。また怪我をしたわけでもなさそうです。
もしかしたら、目の左右の視力がかなり違うのに関係しているのかもしれません。
次が、小学校に入ったころかその前のころです。
“日光写真”というのが子どもの中ではやっていた時期があります。
詳しいことは何も思い出せませんが、一種のあそびです。
透明な感光紙に墨を塗り、それを通して太陽を見るのです。
太陽を直視するわけではないのですが、直視になったのではないかと思う瞬間があります。
これが左目の視力が落ちた原因かもしれません。
しかしぼんやりした記憶ですが小学1、2年のころの視力検査では右目が1.0、左目が0.8であったのかもしれません。
ただし既に斜視であったように思います。
中学校で野球部に入りました。
外野を守ることもあったのですが、外野フライのボールを捕球するのに支障はありませんでした。
サードを守っていたとききわめて強いライナー性の打球が真正面に飛んできて、一瞬ボールの距離感がなくなったときがあります。
たぶん捕球できなかったはずです。
3年のレギュラーになったときは捕手でした。投手が投げるボールはそれほどのスピードはありません。
普段の状態で支障を感じる距離感がなくなることはないはずです。
理由は忘れましたが、高校の2年のとき鳥取大学の付属病院眼科(米子市)まで母と出かけました。
そのあと初めて眼鏡をかけました。そのときの視力検査の結果は覚えていません
鳥取大学にまで連れて行かれたのは、単に視力検査ではなかったはずですが何であったのかは思い出せません。
目にはいろいろな問題があったので母は心配したのでしょう。
20歳過ぎに働いていた大学病院眼科の外来事務担当をしていた時期がありました。
医療保険担当の医師と親しくなり、その先生に相談か診察を受けたことがあります。
詳しくは覚えていませんがそのとき「動眼」または「動眼斜視」もあると言われたような気がします。
近視に少し乱視がある、蚊文症もそのとき知りました。
ごくたまに眼鏡をかけないで歩いてみたり、安全なときには眼鏡なしで自転車に乗ったこともあります。
視力の弱い左目だけで歩いてみたりしました。
いずれも疲れるもので、そう長くはやっておれません。
30代ごろまでに何度か眼鏡を変えましたし徐々に視力も下がりました。
視力は左0.01、右0.1の記憶があります。
しかしあまり眼鏡の度数を変えることはしないで来ました。支障は感じません。
猫(キャリー・ケージ)