大切なものは、
どんなことがあっても
やっぱり大切なんだ。
変わっていくものや、
変わらなきゃいけないものもあるけど、
いつの間にか
その渦に巻き込まれてしまっていた。
例えば、それは
「ありのまま」の自分でいられることとか。
社会や現実という巨大なものを前に
私はあまりにも無力だけど、
命だけは奪われては駄目だよね。
「ありのまま」の自分でいることや、
「ありのまま」の自分を打ち明けることを、
怖がって、孤立してしまっていた。
大切なものは、
どんなことがあっても
やっぱり大切なんだ。
変わっていくものや、
変わらなきゃいけないものもあるけど、
いつの間にか
その渦に巻き込まれてしまっていた。
例えば、それは
「ありのまま」の自分でいられることとか。
社会や現実という巨大なものを前に
私はあまりにも無力だけど、
命だけは奪われては駄目だよね。
「ありのまま」の自分でいることや、
「ありのまま」の自分を打ち明けることを、
怖がって、孤立してしまっていた。
あなたの心に映る
私の姿は、どんなものなのかな?
何でもいいや、
こんな、
ちっぽけな存在の私を
見つけてくれて、ありがとう。
私は『気分障害』で、感情の波が激しい。
「何でもできる!」という気分になり、
どんどん予定を入れて、動ける時と、
「もう生きていけない」と落ち込み、
予定をキャンセルして、寝込む時との、
差が激しい。
今まで、それが障害だとは知らず、
聞いた時には少し安心したところもあった。
けれど、この障害による症状と
どんな風に生きていったらいいのかが、
分からなかった。
今も分からないけれど、
就労支援センターでは、そんなことも相談して、
どうしていったらいいのかを一緒に考えてくれる。
そんな場所や人達に出会えたのだから、
大切にしよう。
今日は休んじゃったけど、
これもまた経験の一つで、
本当にもう一人で悩むのは辞めよう。
どうにもならないという、
今この瞬間がすでに学びなのだから。
新年早々、
体調を崩して寝込んでいる。
今日は就労支援センターに
行く日だったのに、休んだ。
今月は他にも、たっくさん
やることがあるのに…。
寝込んでいる場合ではないのに…。
今こそ頑張らなければいけないのに…。
どんなにそう思っても、動けない。
「休んだら、また動けるようになるよ」
そう言われるけれど、
一体いつまで休めばいいのか?
3日なのか?1週間なのか?
1ヶ月?3ヶ月?…1年?
もう、ひきこもりたくない。
ひきこもるのが怖い。
私には時間がない。
グシャグシャな気持ちと、
忘れることのできない幸福な時間と、
言えなかったもどかしさがある。
『あなた』に送る言葉が見つからない。
溢れる気持ちが涙になるのに、
溢れる気持ちをこらえるのなら、
溢れる気持ちも涙も無くなるのは、
当たり前だけど。
恥ずかしいことではないのに、
あとで…あとで…、と言いながら
時は過ぎていく。
今の気持ちや、今 言えることは、
限られているのに、
どうして受け止められないのだろう?
あとで…あとで…、と言っていた時間は
本当に来るのだろうか?
いつしか深い悲しみに恐怖を抱くようになり、
向き合わなくなるんじゃないか?
私はいつだって、母の影になった。
自分の気持ちよりも、
母の気持ちを優先させた。
そして今日のことも、
以前の私なら母の気持ちを想い、
それを言葉にして、
まるで自分の気持ちのように、
語っていた。
けれど、今日は違った。
母の気持ちも想ったが、それよりも
「私の気持ち」が出てきた。
それくらい、私と『あなた』には
思い出があった。
ごめん、まだ言葉にできない。
必ず言葉にするから、したいから、
待っていて下さい。
もうすぐ、2016年が終わる。
今年は6月から8月までの3ヶ月、
アルバイトをした。
本当なら、その後1ヶ月は
休んだほうが良かったのだが、
私は走り続けて、
10月の半ば、とうとう倒れてしまった。
しかし、その時はなぜ自分が
倒れたのか分からず、
「このまま私はまた駄目になってしまうのかぁ〜!」
と、怖くて怖くて、
這うようにして動いていた。
11月の初めに再び自力で起き上がり、
活動的になった。
次から次へと予定を入れて…、
今思うと、かなり無茶をしていた。
どんどん気持ちに余裕が無くなり、
止まることも怖くて、いつの間にか
自分を大切にできなくなっていた。
それでも、
なぜ自分がそうなるのか分からず、
言葉にできないツラさを抱えていた。
「少し休んだら?」
知り合いから、そう言われて、
ようやく休むことを受け入れた。
すると、当たり前だけど、
気持ちに余裕ができて、
自分を大切にできるようになった。
自分を大切にできると、
周りを大切にできるようにもなる。
26日に、スマスマ最終回を見て、
そこで私自身も力尽きた…。
今は毎日何をする訳でもなく、
ゆっくり過ごしている。
買い物やカフェに行ったりもするが、
基本 家にいる。
昼夜逆転になったり、
なかなかお風呂にも入れないけど、
今はそんな自分を許している。
何だか、ようやく休んでいる感じだ。
来年は1月から、また忙しくなる。
予定を詰め込む癖は
抜けてないかもしれないけれど、
私のペースで頑張ろうと思う。
生きているから 悲しかったことも、
生きているから 嬉しかったことも、
生きているから 苦しかったことも、
生きているから 楽しかったことも、
生きているから 悔しかったことも、
生きているから 喜んだことも、
生きているから 怒ったことも、
生きているから 許したことも、
生きているから 憎んだことも、
生きているから 愛したことも、
生きているから 別れたことも、
生きているから 出会えたことも、
生きているから やり直せなかったことも、
生きているから やり直せたことも、
生きているから 怖かったことも、
生きているから 安心したことも、
生きているから 泣いたことも、
生きているから 笑ったことも、
みんな、みんな、幸せだったなぁ。
私は「普通」になれなかった。
お母さんやお父さん、世間の人達、
世の中が求める「普通」になれなかった。
みんな一生懸命、「普通」になれるように
頑張ってくれたのに、
私も一生懸命、「普通」になれるように
頑張ってきたけど、
ごめんなさい。
私、「普通」になれなかった。
でもね、私はいろんな人達に出会って、
教えてもらったことがある。
「普通」にはなれなくても、生きていい。
そして、幸せになれることを。
お母さん、お父さん、世間の人達、世の中…。
私、「普通」にはなれないけど、
生きてもいい?幸せになってもいい?
誰よりも、私が自分自身に対して…、
「普通」になれなくても生きていい。
「普通」になれなくても幸せになっていい。
そのOK!を出す勇気があれば、
「普通」という狭い箱の中から飛び出して、
私らしく生きていけるほうへ、
私らしく幸せになれるほうへ、
踏み出していけそうな気がする。
きっと、そこには
たくさんの出会いが待っている。
昼夜逆転中…。
今朝は、徹夜状態。
頭がボ〜ッとしている(-_-)
悠々ホルンさんの歌を聴いた。
ずっと心の中で思い続けてきた
傷のようなものが溢れ出して、
本当に泣きそうになった。
私の中には、
解決されていない。納得できていない。
悲鳴のような疑問が未だにある。
前だけ向いてきたから、
もう解決は望んでいないし、
もう納得もしなくて良かった。
そう思っていたはずだったのに、
立ちはだかる現実を前にして、
子供のままの私が、
「まだ解決できない!納得できない!」
そんな地獄へと堕としていく。
本当は…、解決が欲しい。
本当は…、納得が欲しい。
でも、分かってる。
そんなものは無いってこと。
あるとすれば、それは未来にあるってこと。
だから、未来に行きたい!
行こう!と決意した最初の一歩が、
あまりにも痛くて痛くて…。全然 駄目で。
無理やり笑ってみた。無理やり頑張ってみた。
「いつか、いつの日か」と言いながら。
現在を生きれないことに気付いていながら、
自分のツラさを受け入れながら、
私は悲鳴のような疑問と戦って勝とうとした。
馬鹿な戦い、愚かな戦い。
でも傷付きたくなくて、
ただひたすらに、怖かった。
そんな弱い自分を、
誰にも話せなくて、伝えられなくて…。
もう大人なのに
中身が止まった子供のままの自分が
恥ずかしくて、
本当に想っていることが言えなかった。
悠々ホルンさんの歌を聴いて、
そんな自分の想いを、このブログで
初めて言葉にすることができた。
ありがとうございます。
—–
私が聴いた歌は、
♦︎『16才のいばしょ』
♦︎『(勉強って何の為にするの?) 少女「捨てられない為」』
…です。