また私は過ちを犯して
別れの言葉に想いを込められず
旅立ちの朝に「またね」と言うの?
最後だから 今度こそ
「さようなら」と言いたい
20年前の約束を
果たせぬまま生きてきた
ようやく終わる瞬間
そして ようやく始まる瞬間
また私は過ちを犯して
別れの言葉に想いを込められず
旅立ちの朝に「またね」と言うの?
最後だから 今度こそ
「さようなら」と言いたい
20年前の約束を
果たせぬまま生きてきた
ようやく終わる瞬間
そして ようやく始まる瞬間
何かを始めることは
何かを終わらせることでもある
終わらせたくない気持ちが
手を離せない臆病な心を生む
それでも
生きていきたい気持ちが
手を離して始める勇気をくれる
始まりを始めるために必死になって
終わらせる意味も不確かなまま
身体を壊し 心をすり減らして
愛に応える愛を持つ余裕さえ失くしていた
ずっと この場所にいたかったけど
いつの間にか
こんな遠くまで来ていた
君があの日の約束を覚えているなら
留まっているわけにはいかない
僕は行かなくちゃ
旅立つ理由を探したけど
それはどこにもなく
旅立つ意味を見つけるために
歩くんだ
言葉は力を失くし
どんなに繋いでも嘘になる
だから もういらない
いつか伝わるから
その気持ちが本物なら
いつまでも
この暗い部屋にいたいのかもしれない
それでも命の花は太陽に向かうように
幸せのほうに育っていきたいと願っている
逆らうことなんて誰にもできない
僕は行かなきゃ
君がいない世界でも
『努力』は、ツラく苦しいもの。
『努力』した先に、幸せが待っている。
だから、幸せになるために
ツラく苦しい『努力』をする。
そう思っていた。
でも、その「幸せ」は
自分が思い描いた「幸せ」で、
もしかすると、
自分が思い描いた「幸せ」じゃない、
もっと違った形の「幸せ」が
やってくるかもしれない。
『努力』がツラければツラいほど、
『努力』が苦しければ苦しいほど、
自分が思い描いた「幸せ」に
ある意味でしがみついて、縛られて、
違った形の「幸せ」に
気づかないかもしれない。
気づいても受けつけないかもしれない。
もしかすると、
『努力』は幸せになる為にするんじゃなくて、
『努力』は傷つかない為にするんじゃなくて、
『努力』は生きることを楽にする為に
するのかもしれない。
「楽」は「楽しむ」というという意味。
だから、きっと
『努力』している時は、
楽になっていく訳だから、
本当は楽しいものなんだと思う。
もっともっと努力を楽しもう。
本当の努力は「幸せに向かう」のではなく、
努力している「今が幸せ」なんだと
思えた瞬間、
その努力は今まさに報われていて、
だから続けていけるのだと思う。
先週、病院に行って、
先生から言われた言葉。
「まぁ、今は季節の変わり目だから。
もう少し暖かくなると、
気分も上がってくると思いますよ」
出た!
お医者さんは困った時、
いつも『季節の変わり目』を出してくる。
春↓
「寒かったのが暖かくなってきたから、
体調も崩しやすい時期ですよ」
夏↓
「暑いですからね。もう少し涼しくなると、
気分も変わってきますよ」
秋↓
「暑かったのが寒くなってきたから、
体調も崩しやすい時期ですよ」
冬↓
「寒いですからね。もう少し暖かくなると、
気分も変わってきますよ」
決して怒っている訳ではないけど、
このアドバイスが出てくると、
「あ、先生が困ってる」と思ってしまう。
「お母さん、ごめんね。
暴言を吐きまくって、
心の暴力を振るってしまって、
本当にごめんね。
そして話してくれて、ありがとう」
母との闘いの果てに、
私はそう思った。
昨夜から、
私は母にこれでもか!というくらい
想っていたことをぶつけた。
今朝になっても、
苦しい気持ちはおさまらず、
どうしようもなく
また母に想いをぶつけた。
もう限界を越えた先まで、
私も来ていた。
けれど…。
さっき、母が言ったことに対して
私は思わず「正解!」と叫んだ。
母は今の私の現状などを
ズバリ言葉にしたのだ。
母の精神的負担の重さに
私自身、ハッ!とさせられた。
私は、母に甘えていた…!
衝撃的な気づきだった。
しかし、不思議と
散々苦しんでいた気持ちから
私は解放されていた。
自分の足で歩いていく。
明日に向かっていく勇気を
私はもらった気がした。
いろいろ試行錯誤を
繰り返しましたが…。
やっぱり、いまいち
ブログの書き方が分かりません。
申し訳ない限りです。
また、日常で感じたことを
「自由」に書いていきたいと思います。
その中で、誰かの心に
響くものがあれば嬉しいです。
どうぞ、これからも
よろしくお願いします。