早朝に目覚めると、本当に気持ちが良い。
閉め切ったカーテンを開けると、
秋晴れの陽射しが嬉しい気持ちにさせる。
その日、一日が本当に楽しくなる。
朝が好き。
月別アーカイブ: 2015年10月
作詩:あの日
前へ進みたい気持ちはあるのに
どんなに心に訴えかけても 体が動かない
変わりたい気持ちはあるのに
どうすればいいか分からない
そんな時 遠い昔の事を思い出す
怖くて行けなかった あの日
後戻りしてしまった あの日…
その先にあった景色を今度こそは見たい
今 やっと ここまで登って来た
あと ほんの少しで行けるんだ
もしも その景色が最後だったとしても
そこまで来れた自分は
あの日から 確かに変われた自分なんだよ
そして 帰って来た時は
温かい家族が待っている
今度は頑張ったねって笑顔で迎えてくれる
家族がいてくれる
遠い昔のあの日を
懐かしいねと笑える日が来るように
作詩:分かれ道
もしも 後ろに戻る道を選んだら
きっと元に戻るよりも
何も出来なくなって
深い傷と更なる病気を負う事になるだろう
やっと ここまで来たから
あともう一歩だけ 前へ進んでみたい
後ろの景色なら もう充分見たから
今度は前へ進んだ その先にある
景色が見たい
それは まだ見た事がないから
怖い気持ちも もちろんあるけれど
このまま誰かのせいにするのは嫌だから
これが最後でいい
最後にあともうちょっとだけ
頑張ってみよう
成長したいなら、時間をかけろ!
「成長したい!」けれど、
成長はすぐ出来るものではない。
すぐに成長出来たら、
それは成長ではない。
成長はゆっくりするものであり、
成長する道のりはゆっくり歩むものである。
『怖れ』から逃れたい
私には、沢山の情報やアドバイスの中から、自分に必要なものや大切なものを選んだり、受け取る自由がある。ただ、あまりにも沢山の事を言われ、そのどれもが「まと」を突いていたら…。結果、責められてる様な気持ちになり、自分を見失う。
しかし、そんな自分を責める気持ちをも包み込むような、情報やアドバイスを言われたら、辛いのに涙が出ないような現象におちいる。
今日は言いたい事・相談したい事を、全部言う事が出来たし、吐き出す事が出来た。それは良かった。これで、また一歩前進した。それは間違いない。
ただ、始まりというものは、初めて故にショックを受ける。痛みを伴う。その痛みが、今日はやけに痛くて…。
こういうショックな状態におちいった時、今までの私だったら、我慢したり、(誰かに対してなのか、自分に対してなのか、分からないような)怒りにまかせて、投げやりな行動に出ていたと思う。
しかし、今度は違う道に進みたい。違う私になりたい。これはチャンス。今、私はチャンスに恵まれている。しかも、チャンスだけではなく、そういう状態から抜け出す為のヒントさえも貰えたのだ!
ただ、チャンスというものは時にピンチでもある。「成長しよう!」という意欲は素晴らしいものだ。それは、そのまま持っていていい。しかし、ショック状態が続いているうちは、その「成長しよう!」という気持ちの中に、大きな『怖れ』の感情が存在している。
『怖れ』が強いうちは「成長しよう!」という気持ち自体が、苦しみのサイクルの中に入っていく。それは、つまり「成長しよう!」が『怖れ』から逃れたい!行為になっていたのだ。
今日は本当によく頑張った。ショック状態は続いているけれど、これ以上思い悩むのは「悩んでいる自分に酔っている状態」におちいる行為だと思う。だから、そのままの状態で、今日はゆっくり休む事にしよう。