だから詩が必要だった
金曜日, 11月 3rd, 2017 とても個人的な事だけれど、詩は趣味でも学問でもなく、生きて立つための、必然で真
剣なひとつのすべのようだといえる。
なぜ詩を書くのか、と問うと答えはなく、よくわからない。わからないなりに考えてみ
る。
まず、感覚.思考.感情.意志.無意識…激しく移ろう形のないさまざまなものを形にし
たかった。
形はそのままにはならないけれど、その流れゆくものを見極めたい欲求があった。
そしてそれはいたって自己完結的である。
自己の、自己による、自己のための詩。評価を請うものではない。
この自己中心性が逆に、自我の滅却を目指すことのはじめになるのではないかと考える。
「自分らしさ」の不自然さ、「自分探し」という不毛。よく使われる言葉だけれど、自
分といって何様でもない。
それで、単なる稚拙な自己主張、自己を語ることのおごりを恥じる。
何を綴るにせよ、どこまでも自己意識を超えていきたい。
そのとき個をはなれて、言葉の魂の発現を目撃するのだと思う。
そして、言葉の魂を扱うことで、どれほど生きづらさを昇華できることだろう。