すべては
身体感覚による
憂鬱でさえ
殺意でさえ
身体感覚
自我さえ
発語さえ
それらを
司るかにみえる
脳神経こそも
身体だ
つねに
身体感覚にある
私たちに
その滅却は
生きたまま体験できるか
この身体感覚にある
死の不安
身体を
失いゆくとき
魂は発現するか
祈りにも似た
なにものかは
身体を超えて
ゆくのだろうか
Posted by 中崎シホ on 6月 2nd, 2021 and is filed under 詩.
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