だから詩が必要だった

 とても個人的な事だけれど、詩は趣味でも学問でもなく、生きて立つための、必然で真
剣なひとつのすべのようだといえる。
 なぜ詩を書くのか、と問うと答えはなく、よくわからない。わからないなりに考えてみ
る。

 まず、感覚.思考.感情.意志.無意識…激しく移ろう形のないさまざまなものを形にし
たかった。
 形はそのままにはならないけれど、その流れゆくものを見極めたい欲求があった。

 そしてそれはいたって自己完結的である。
 自己の、自己による、自己のための詩。評価を請うものではない。

 この自己中心性が逆に、自我の滅却を目指すことのはじめになるのではないかと考える。

 「自分らしさ」の不自然さ、「自分探し」という不毛。よく使われる言葉だけれど、自
分といって何様でもない。
 それで、単なる稚拙な自己主張、自己を語ることのおごりを恥じる。

 何を綴るにせよ、どこまでも自己意識を超えていきたい。

 そのとき個をはなれて、言葉の魂の発現を目撃するのだと思う。

 そして、言葉の魂を扱うことで、どれほど生きづらさを昇華できることだろう。

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