過ぎた昔を懐かしく思い出に浸る時は、ごく一時の短い間で良い。
現在である境遇の中でどう生きるかどうかが、最も目前での課題なのだから。
ずっといつまでも、過ぎたことで心を塞いでばかりはいられない。
何も変化や刺激がないような境遇へと長く居座っていても、それだけでは人間らしさがどこかで失われてしまう気がする。
ずっと親のそばに居て、親孝行をしているだけが全て良いとも限らない。いずれは先へと親は去って行ってしまう。
「裏切り」という意味の表現が、全てにおいて悪いように取らえられる訳ではなく思える。
ある場合においては、見事に裏切られみたいと言ったことを聞いたりする。
なぜにそう思うようになったかと言うと、自分が少し年をとったことも一つにはあるが、過去に疎遠となってしまった自分よりも十歳近くも年若かった女の子を今に思うと、どこかは今も気になってはいても、本人が大人として成長をして行く上では、裏切られてもいいと感じるするようになった。
子どもはいずれ、親や周りにいる大人を見下してやるくらいに、いつかは自分のほうがもっと上の地位となって今にいる大人達より大きくならなければと。
ある程度の大人としての年齢に達したとき、自分に自信が持てないような哀れな大人になってはならない。