毎日、夜、一人暮らしの部屋にてうす暗いランプだけをそっと照らし、現在におかれている自分の状況などを考えてみては、割り切れないような思いばかりが込みあげてくる。
日頃は、あまり自分の存在性を大きくは見せず、おとなしく身をひそめてはいるが、時によっては人一倍に目立つようなことをしてみたりもしては、一時での顔を大きく模様させてみたりもできる。
それは自分から進んでそのように振舞っているのではなく、子どものときからでの無意識なものなのである。
言うならば、どこかにおいて普通である人間からピントが反れていること。
不完全で不真似目なゆえに、不本意でもある自分の人間性。
ある意味では不思議はキャラクタ性なのである。
健全である常識的な社会には、ふさわしくはないようにも思えている。
一体、自分とは何なのだろうか。
極端にも、顔が売れっ子となる自分と、そうではなく存在すらもするかしないかでの自分との差は、まさに生きているか死んでいるかに近いようでもある。
常に落ち着きがない人生。
できることなら、もう少し歳月が過ぎてゆくときをゆっくりとはならないものであろうか。