(104)『季候の四季に惑わされ』

7月 1st, 2010

 僕は今、自分さえも見失いかけてしまいそうな心境に陥りかけている。
 このまま生きていたいのかも定かではない。
又、死にたいと思う気持ちもない。
 将来的な夢や希望などは無くても、もし何かが叶えられるのであれば、今までに過ぎてしまった時を取り戻してみたい。
 それが、もっともな自らとしても望みである。とんでもないかのような希望ではあるかもしれない。
 これから先などは見えやしない、見えなくてもいい、見たくなどない。
 人は幾つもの後悔を抱えながら進んで行く者。本当にそれで間違ってはいないのかどうか。
 そんなに悲劇ではなく、めでたいような訳でもない。
 今は、あちらこちらでの至る所にて紫陽花が満開にも見事な色とりどりに咲いている季候である。野に咲く花々を見ていると、どこかで命の尊さを思い知らされる。
 悩んでいる心境を、何げなしに和らげてくれるような初夏の花々。
 雑然と咲いている自然の花々は、ただ華やかさだけを強調しているものではない。
 野に咲く雑然さが、最も清らかさを感じさせてくれる。
 そして、悩んでいるような間もなく、花は短い間にして枯れて行く。
 何とも儚いかのようであり、何とも見事な生き方であろう。
 実に格好良く咲いては散って行く、自然の花々。

Leave a Reply