医療機関に通っている引きこもりの経験者から、この先に自分の将来が開けるのか心配になっているという相談を受けました。働けるのかどうかを心配しているのです。
カウンセリングを続けている人からも「カウンセリングを続けていれば働けるようになるのか」という質問を受けたことがあります。同様のことは「親の会に参加していれば…」、「訪問サポートを受けていれば…」などの形で相談を受けました。類似の疑問をもっている人がいるものと想定できます。
長期の引きこもりの経験者、とくに30歳以上になって引きこもり生活から抜け出ようとしている人に対する答えとしては、それらは必要な途中経過であってもそのままでは社会参加にはならないと答えましょう。それぞれの取り組みには意味や役割はありますが、仕事に就くための取り組みは医療機関でも、カウンセリング施設でも、親の会でも訪問サポートでもしていません。ただこれらの機関や施設のなかにそういう取り組みが必要と認識し、可能な取り組みを始めたところはあります。
引きこもりの支援として就職のための機関として若者サポートステーション(サポステ)ができています。そこなら効果的な取り組みがされるのかといえば、なかなかそうはいきません。わりと元気な人が集まっていますが、本格的な引きこもり状態の人に必要な対応、社会参加につながる準備などは十分でないのです。サポステから就職した人はいますが、多くは比較的短期間で仕事をやめる、仕事場にいけなくなっています。傷を深くして引きこもりに戻る人もいます。若者自立塾が対費用効果なしと国の制度として廃止されたのは、基本的にはこの理由によります。
長期の引きこもり生活の空白を埋める取り組みが必要ですし、そこを省略すると逆効果になることもあります。その取り返し、埋め戻す過程はその人の性格や好みに合ったものを探し、自分にできる方法をつくる過程です。訪問サポート、医療の受診、カウンセリングなどはそれぞれの過程を経験し、自分なりの方法を獲得する場になります。
それらのなかで引きこもり経験者の集まる居場所はこれらの要素を濃縮したところといえます。濃縮しているというのは当事者にとってはそれなりの壁の高さを感じるところでもあります。さらに濃縮度が高いのは宿泊施設になるでしょう。
完全な引きこもりではなく、よく外出する、コンサートなどには行く人もいます。しかし、居場所には行かないという人はこの中間の状態です。そういう人にはそこで社会参加のきっかけをつかむ人もいるはずです。居場所は少しずつ継続的に個人の力量を貯えるところです。居場所については次回に稿を改めます。