数値ではなく生身の人間を感じるのが大事

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私のものの考え方・捉え方には原理的な面と経験的・実感的な面があります。
原理的な面は認識論とか論理学とでも表わしたらいいもので、比較的若い時期に学んだことがベースになっています。経験的・実感的な面は生きて生活するなかで知らず知らずのうちに身についたものです。原理的な認識論とは相反するものではありません。少なくとも自分の中ではそうです。
経験的・実感的な面には2つあると思います。今回はそのうち自分で経験してみる、人については抽象的な数字であっても「生身の人間を感じる」点について書きます。

月刊教育誌『子どもと教育』編集長をしていた1984年ごろです。年に1回か2回、通常号とは別に臨時増刊号として特別の特集号を企画・編集していました。例えば「いじめ」「学級づくり」がテーマです。
日本体育大学の正木健雄先生の研究室が毎年、子どものからだの調査をしており、正木先生の協力を得て「子どものからだ」の臨時増刊号を編集発行することになりました。手元にその号がなく、内容詳細は書けませんが、文部省もすすめる各地の子どものからだ調査を、各校でどのように取り組んでいるのかの教育実践記録と調査のまとめを、グラフにした内容でした。
臨時増刊号を発行した後、日本体育大学の正木研究室で検討会が開かれました。十人以上の研究者が中心に特徴や感想などを発表しました。その途中で突然、正木先生から「編集者として感想はどうですか?」的な指名がありました。
全く予期していなくて面くらったのですが、「私は調査結果を見ているけれども、現実の子どもを見ていません」とその場では特に発言しませんでした。その場かぎりの、根拠の乏しい、数字に頼るいいかげんな発表はすべきではないと強く思ったのです。
この経験は私には深い記憶に残りました。出版社を去り、ひきこもり経験者に囲まれる生活になったとき、私は生身の人に囲まれた生活においてようやく、身体状態を表わすいろいろな数値も意味をもつものだと実感しました。
同時に私は、一人ひとりの状態を、〈正式の面談〉場面だけではなく、できるだけ日常生活場面で見ることの意味や役割が欠かせないと自覚しました。さらにいつの間にか私は、「経験主義者」を自認するようになりました。外から見るだけではなく、自分なりに関わり経験する必要があると考えたのです。
ニュースなどで見聞きすることで、世の中の動きを知るのですが、それらをできるだけ自分の経験したことと照らし合わせて考える必要があるようになりました。それを文章に記録するときには、何らかの自分の経験を織り込んで書くように心がけています。それに適した経験的な実例がいつも都合よく思い出せるとは限りませんが…。
たぶんAI(人工知能)の活用が進んでも、その自分が経験した部分の記述はAI記述が広まってもほとんど書き込めない気がしています。

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