教育誌の編集者をしていたころの話です。
とても信頼できる高校の先生から雑誌に載せる原稿を受けとりました。その最後あたりでとても気になることが書いてありました。関わっていた生徒とのとても心温まる実践記録だったのですが、その生徒がある日から急に荒れ始めたのです。なぜなのか? それまでの話の流れのなかでは考えられないほどのものです。
それでこの先生に問い合わせをしました。先生は理由を聞いていたようですが、具体的には答えてくれませんでした。先生は「妹のことだ」と短く言っただけです。意味はわかりませんでしたが、気憶には残りました。
それから15年以上の時間がたちました。私はひきこもり経験者の集まる居場所を運営する活動をつづけていました。ある女性が家族の関係を話してくれたのですが、どうしても具体的に話をすすめないところがあります。自分から話す分には耳を傾けるつもりでいますが、私は言い淀むものはあまり深く入らないようにしています。ですが、話の流れがスムースにならないのを気にしてか、その人は一言「インセスト」と言って離れてしまいました。
実際は「インセスト」とはっきり聞こえたわけではなく、早口で何か言って逃げた感じです。「これ以上は言えない」的なことばだと、その場は終わりました。insestを辞書で調べましたが辞書にはない言葉でした。
あるとき、イギリス留学をしていた人がいるので「インセストって何?」と聞いてみたら、「近親相姦かな…」と答えたので、意外な言葉をきいてちょっとどぎまぎしました。incestと綴ることを後で知りました。これは2002~2003年のことです。
子どもの虐待について、私はこう書いたことがあります。ひきこもり経験者からはいじめを受けたということはよく聞きます。全員に確かめたわけではありませんが、たぶん3分の2以上は何らかのいじめを受けていました。暴力的なことは多くなく、仲間外し、自分だけには伝わらないようになった、一斉にさけられた…などです。言葉による攻撃では、嫌味とか否定してくるもの、容姿をやゆすることが多かったようです。
それは家族の内でもありました。家族内では暴力に近い身体拘束みたいなもの、押し倒されたとか、しばられたという人もいます。家族内でのことになると、これは虐待です。
しかし、こと家族内でのこのようなことは、多くの人はあまり話そうとはしません。何かの事件みたいな報道があると、「うちでもそれに近いことがあった」というのが、せいぜいです。
しかし、それが性的なものになるとほとんど話してきません。実際にそういうことが頻発しているとは思わないのですが、とにかく言いづらいのです。
それでも私が聞いたなかには皆無ではありません。それは私との関係性によるし、その場の雰囲気というのもあります。ここに紹介して2つの例も家族内の性虐待かどうかは確定しがたいものです。
そう考えると先の高校の先生とその生徒の間には、きわめて強い信頼関係があったと思えます。そういう事情があったと推測できるのです。
ジャニー喜多川事件の報道を見て、本人が性虐待を受けていたと言うのはとても大きな難関があると思います。これはincest傾向とは違う性虐待です。多くのばあい信頼できる人に、ある時間を経て、初めて話せるようになるのではないか…と。