中世史の研究者・脇田晴子先生

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東京新聞2016年9月29日によると、「脇田晴子さん死去 日本中世の女性史研究」と伝えています。
大昔の1970年、モスクワで開かれた歴史教育の会に参加するとき、同行ツアーの一人としてお目にかかったことがあります。私は25歳でして、バスの移動中に暑いので通りがかりのプールに泳いでいる人をみかけて、「飛び込みたい」と言ったところ、先生に笑われた記憶があります。
いつのときだったか石見銀山を世界遺産に登録する調査に脇田先生が関わっていることを知りました。鎌倉期か室町期のころを書いた本の中で先生の研究が引用されていたのを見たこともあります。
東京新聞によると次のように紹介されていました。
<日本中世の女性史などで優れた業績を挙げた歴史学者で、文化勲章を受章した滋賀県立大名誉教授の脇田晴子(わきたはるこ)さんが二十七日、心不全のため死去した。八十二歳。兵庫県出身。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は歴史学者で大阪大名誉教授の夫修(おさむ)氏。  
神戸大文学部を卒業し、京大大学院を経て、橘女子大(現京都橘大)教授、石川県立歴史博物館館長などを務めた。女性史、商業史という分野を確立し、通説を覆す多くの業績を挙げ、二〇〇五年に文化功労者に選ばれ、一〇年に文化勲章を受章した。  世界遺産に登録された「石見銀山遺跡」(島根県大田市)の歴史文献調査団の団長も務めた。  著書「日本中世被差別民の研究」は〇三年、第二十五回角川源義賞(歴史研究部門)を受賞した。>

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