2025年に向けて考えること(一部省略)

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会報『ひきこもり居場所だより』 2025年1月号
年の替わる年末年始は「今年はどうだった、来年はどうする」を考えるものです。今年もまたそうです。今年はいくつかのことが始まる一方で、何かが終わりに向かっています。
12月のセシオネット親の会は、松村さんと2人のお母さんと私の4人でした。コロナ禍以降はこれに近い状態が数年続いています。松村さんから「これからどうしようか?」との提起がありました。あれこれ巡らして「正月期間の宿題にしよう」と答えました。この会報の読者には他の親会(家族会)に参加している人もいますし、いくぶん似た状態が想定できるので、そういう人たちの気持ちや意向も参考にしたいと考えたのです。松村さんとは居場所的な方向がおおよそ一致しています。
セシオネット親の会だけではなく、ひきこもり経験者等との関係、不登校情報センターの活動内容、今後の活動を考えるとき、こういう部分に加えて私の心身状態も関係するでしょう。これらを歳の瀬にまとめて考えると数年間のある時期が終わりになったと思えるのです。
しかし、次の時期はどうでしょうか。新たに始まっていることもありますが、はっきりしないこともあります。これらを「私の周辺にいるひきこもり経験者等とのかかわり」、「不登校情報センターの取り組みとのかかわり」を中心に取りまとめてみました。いずれもいくらかは私の心身状態とも関係します。
[1]「私の周辺にいるひきこもり経験者等とのかかわり」はこれという大きな変化はないように見えます。その中ではっきりしたものがあります。
1,中崎シホさんと私のメール交換記録を『統失宇宙からの手紙』にまとめ、ある文学作品賞に応募しました。
2,Angelさんはイラスト作品を送ってきていましたので、夏ごろに「作品集をつく
ろう」と提案しました。Angelさんはそれに応えて定期的に作品を送ってくれます。正月期間にある程度まとめ、春ごろには仮作品集を作りたいと考えます。その作品
集のタイトル案がAngelさんから送られてきました。
3,清水大樹くんは2年以上会報『ひきこもり居場所だより』の投稿を続けてくれました。12月号で終了を告げられました。彼の新たな時間の使い方を応援するつもりですが、彼のこれまでの投稿は多くに人に共感を得ています。清水くんの了解をもらえればこれを『元ひきこもり当事者の記録』(仮タイトル)のエッセイ集にまとめたいです。
この3人以外にも、何らかのイラスト作成や文筆活動をしている人がいます。不登校情報センターにはすでにそういう作品は数点あります。それらをまとめて、来年の12月ごろ開かれる「文学フリマ」(東京ビッグサイトで毎年開かれる展示即売会)に出展したいと思います。これが目標の1つです。
すでに作成した不登校情報センター(あゆみ書店)の手作り作品をはじめ、出版社から市販されている本もあります。

「ひきこもり経験者等」でこれからこの作品つくりに加わる人がいれば歓迎します。とくにこれまで中途になっている人には改めて復帰する機会にしていただければいいと思います。松田につながる「ひきこもり経験者等」とのつながりをこれらの作品つくりに限定するのではありません。電話やメールを初めとするつながりはこれからも維持していくつもりでいます。よろしくお願いします。

[2]第2の分野である「不登校情報センターの取り組み」に関してもある事態に差し掛かっています。現在の取り組みの中心はサイト制作です。サイト制作は続けますがウィキシステム部分は26500ページ(12月28日)の大型サイトになっています。これをある方向に集中させたいと思います。
サイト制作とは情報提供の方法です。不登校情報センターは不登校に関わる親の会、相談室、およびフリースクール等の関係団体の情報を集めるためにつくったものです。教育誌を編集していた私は、教育にかかわる過程で不登校問題の意味とその深遠さを感じました。その編集者時代からこの支援団体の情報提供を始めました。それを本格的にするために不登校情報センターにしたわけです。
まずは出版物で扱いました。最初の出版物が『登校拒否関係団体全国リスト』(あゆみ出版、1995年12月)です。これを出版するとき担当編集者とこの編者をどうするか問われたとき、松田武己では意味不明と思い、「不登校情報センター」の名前を考えました。
この情報本は何度か改訂を重ね、また他にも適応指導教室やカウンセリングルームなど分野別の情報本も編集し複数の出版社から発行しました。これらは全部で十数点になります。
このような不登校に関する情報を集め、提供するという意味での不登校情報センターが出発です。その後の進展の中で情報提供対象が広がりました。ひきこもり、発達障害は不登校に直接かかわる分野です。その後では生活困窮や居場所が大きな部分を占めます。
もう1つの重要な変化は、情報提供の方法が出版物からインターネット(サイト)に変わりました。これはきわめて大きな変化です。当時の私にはサイト制作をする技術的な知識はありません。情報提供の内容や方向を示したうえで、居場所に来ていた人のうち、一定の技術と関心を持つ人がこのサイト制作を始めました。2003年春のことで一応の成立はその年の秋のことです。ですからこの時期の私は情報を集めても、情報提供サイトづくりには直接関与していません。
数年後の2009年夏に私はワードを扱うだけで関われるブログを始めました。これも自分でブログを運営している人に設定してもらい、私が日常のあれこれを書くページになりました。パソコンとそのワードに慣れていく時期でした。
この進捗状況を見てある人がそれまでのサイトをHTMLシステムに代わり、情報提供ページをワードで作成できるウィキシステムに提案してくれました。これが2010年の秋のことです。HTMLシステムの情報ページをウィキシステムに移行する数か月を経て、2011年初めに全体を替えました。私が直接に情報提供ページの作成にかかわるようになったのです。
これに合わせてアフィリエイトとかバナー広告を取り入れられ、サイトからある程度の収入が得られるようになりました。この時期には作業参加者に少額の作業費を支払えるようになったのです。と言っても収入の多くはサイトではなく、学校案内書の委託発送などのアナログ部門であったことは確かです。この状態がこの数年間に変わっています。
まず変わったのはサイト制作にかかわってきた人たちが相次いで仕事につき始めました。これは居場所の基本的な目的であり歓迎すべきことです。「仕事に就くなどにより情報センターの作業が停滞することがあっても、その仕事に就くことを優先する」としてきました。しかし、それはバナー作成できる人がいなくなることでした。
情報収集の対象の中で個別の親・家族会、相談室、フリースクール等の部分が相対的に減りました。これらの情報収集する作業量の大きさに対して、集められる情報が少ないことも関係します。それに代わって自治体や社会福祉協議会の関与する部分が大きくなりました。自治体が関わることは不登校やひきこもりへの社会的対応の前進を示します。対応内容は必ずしも十分ではなくとも、それは熟練程度もあります。継続的・安定的に公の機関が関わることは前進です。
この情報収集の偏りを取り戻す策を試みましたが、著作権の壁に阻まれました。またそれを乗り越えるこちら側に人的・技術的・資金の力はありません。現在は主に自治体広報紙のプラットホームから情報提供の情報を集めているのが現状です。サイトが大きくなるに任せている状況をこのまま続けていく意味はもはやありません。ここらで転換するしかありません。
情報提供の「分野を絞り、ひきこもりとそれに近い部分に集中する」という大まかな方向はありますが、具体的姿はまだ不明瞭です。直観の範囲を超えませんが、居場所がキーワードになると予想しています。
[3]松田の関心対象の移動もあります(あえて深化といいます)。少なくとも20年前は、私はひきこもり経験者個人の心身とその環境に目を向けその心身と環境の改善を考えていました。2021年に『ひきこもり国語辞典』を発行した後、ひきこもりを生み出す社会状況に関心を移しました。
このことは自治体がひきこもりと周辺領域に関与を広げている状況と個人対象から社会的対応に目を向けるのと重なり合う部分があります。いま私はこの関心対象を経済社会の状態からひきこもりを説明するようにめざしています。
調べていくと日本の長い歴史のなかで家族形態の成立条件はこの50年間に大きな変化が起きています。歴史学者のなかにはこの50年間の社会の変化は中世の戦国時代前後の100年以上に匹敵する大変化という人もいます。社会的分業と家業の成立、それによる市場経済の広がり、家族の分解にあわせて市場的な労働評価が生まれました。
この50年間に日本は農業社会から工業社会を経て情報社会に向かっています。この過程で血縁的家族集団に代わり地縁的集団に向かっています。しかしその進展は時間を要すしかありません。その間の大変化のなかで社会全体の格差とともに、男女の労働評価の基になる家事労働が置き去りにされています。これは人間評価の格差を生み出す一般的な原因です。
家事労働の価値を評価しないのとひきこもりの発生は直接に関係するとは言えません。私にとり不登校情報センターで関わった数人の家事・介護に携わる人、ヤングケアラーに属する数人の事情がこの家事労働に関心を持つきっかけでした。ひきこもりと家事労働は直接的なつながりが強いとはいえませんが、根源的にはつながっているのです。
労働評価に基づく所得の有無・大小が人間の働きの評価になります。その枠に入らない家事労働が軽視されるだけでなく、人間評価の偏り・差別になります。それを回復するには家事労働を評価すること=GDPに匹敵する家事労働の評価方法を取り入れる必要があります。とくに家事労働の中の家族内ケア労働ともいえる部分が、家族の歴史的な変化の源泉になっていると考えます。
私はこれを社会学的な視点よりも経済学的な視点で説明しようと考えています。大まかですがこれらに一応の点に到達したと思います。しかし説明不十分のところもあり、これを基に有意グループで検討を重ねていきたい心積もりです。

以上、3つの部分について2025年にどうするのかを考えました。私は来年8月に80歳になります。これらのめざすところは私の心身状態にかかっているとも言えます。それに向かうエネルギーはいくらかあると信じています。これら全体が1つの時代の終わりと次の時期の始まりになります。

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