孤独死をさける包括的体制が必要

このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - 孤独死をさける包括的体制が必要
Facebook にシェア
[`google_buzz` not found]
[`yahoo` not found]
[`livedoor` not found]
[`friendfeed` not found]

コロナ禍以前は親の依頼を受ける形でひきこもりへの訪問を重ねていました。訪問を始める前にある手続きを定式化しました。5~6項目の選択肢を提示し、どれがいいのかを当のひきこもりに選んでもらうのです。パソコン教室に行き技術・知識を身につける。ハローワークに行き働く場を探す。定期的に相談者に来てもらう……など親と私が相談して選択項目を考えます。別に[ ]の空白を設け、自分ではこうしたいという意志表示できる項目を設けます。これら合計で 5~6項目の選択肢になります。
この結果の多くは「定期的に相談者に来てもらう」が選ばれます。実際は選んだというよりは「残った」といえばいいでしょうが、それでもそれに〇を付けたのはひきこもり当事者です。
こうすることでひきこもりへの訪問をしやすくなります。ところがある母親がこの[ ]枠をつくれないといいます。30歳近いひきこもりとはこれまで「そうなったら死ぬ」というやりとりをくり返してきたのです。母親は[ ]にそう記入されるおそれを感じたのです。
不登校情報センターの居場所に来ている人にも、問い詰められて「そうなれば死ぬ」と答えた人が数人いたので、私にも推測できることでした。
この例はもう20年近い前のことです。しかしおそれていたことは現実になっていると推察できることが報じられました。様子は少し違いますが、産経新聞2024年7月22日付の1面トップ記事です。
2018年~2020年の3年間に東京23区で742名の若者が孤独死していたと報じられました。東京都監察医務院は「自殺や死因不詳などの異常死のうち自宅で死亡した1人暮らしの人」を孤独死としています。報道によると10代~30代以下の該当者は1145人おり、そのうち742人が孤独死になります。
30~39歳402人、20~29歳325人、15~19歳15人、15歳以下該当なしです。不登校情報センターの居場所に通っていた人にも、2005年~2010年に少し似たことがあります。Okくん、Hyくん、Shくんでいずれも30代男性です。彼らは家族と同居または近い所に住んでいたので自殺ではありますが孤独死ではありません。Ttさんは20代の女性で家族と離れた一人暮らしで亡くなりました。彼女は監察医務院のいう孤独死に該当するでしょう。自殺かどうかは判断しづらいですが服薬とアルコールを併飲しており「そうなってもいい」気持ちではないでしょうか。
これらの人はいずれもすばらしい力をもつ人です。事態を深く洞察する力をもっているが故に、しかしそこから抜け出す道を探し当てられずに別の道を選んだのではないか。本当にすばらしい感性と知性をもつ人たちを、社会は失ってしまったと思えるのです。
この事態から監察医務院の報告は、より広がっている深刻な事態の「家族から離れている人」たちに限定して数値化しているとも言えるのです。事態はより広く考えてしかるべきなのです。
産経新聞の記事は、これをひきこもりのセルフネグレクト(自己放任)の見出しをつけ、社会面で紹介しています。私はひきこもり経験者の一部がそうなる可能性が高いと懸念していますが、ひきこもりに限られた事態ではないとも考えます。
産経はその要因をセルフネグレクトとし、セルフネグレクトを自己放任としています。ミニ解説ではセルフネグレクトを「不衛生な環境での生活や必要な医療・介護サービスを拒否するなど心身の健康維持ができない状態」(2023年厚生労働白書)としていますが、少し違和感があります。日本語の自己放任にも納得できない感じがします。社会への絶望、人生への諦めなど気持ちの説明がないからです。
この記事の論点としてコメントする岸恵美子さん(東邦大看護学部教授)は言います。「国は既存の制度の対象になりにくい事例も包括的に対応する重層的支援体制整備事業でセルフネグレクトに対応する方向だ」。そして「相談対応だけでは命や人権に関わる深刻な事例が起こりえる。定義が不明なため自治体の調査にもばらつきがあり、法制度化しないと命は救えない」と結んでいます。
制度の内容にはふみ込んで説明していませんが、状況は難しい形で広がっています。とらえる軸は複数想定され、程度も幅広いです。それを定式化する作業です。具体的には先のOkくん以下4人とも、家にとじこもったままのひきこもりではありません。居場所に通い、ある人は働き始めるなかで何かにぶつかりました。人や社会との間合いをとり始めたからこそ直面する苦悩であり、苦闘です。社会的背景が大きく変わるなかで、個人の努力・自己責任に任せる(自己責任)では無策です。
それらを制度的に包括する内容を盛り込むことになるでしょう。事態は法制度化して国と自治体で手を差し出さなくてはならないところにきているという岸さんには私も同じ意見です。

孤独死をさける包括的体制が必要」への1件のフィードバック

  1. youyou-tsubaki@if-n.ne.jp
    私の従兄妹は病院に通いながらバイト生活してましたが自死してしまった。知性も感性も人よりずば抜けていた。引き籠ったり自死したりする人の中には優秀な人も多いと本当に思いました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください