不登校情報センターの居場所時代(企画)

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8月10日(土)、Ntくんが1か月ぶりに来ました。およそ2時間、ほぼずーっと話しました。これまでの情報センターで起きたエピソードについてです。彼とはこれまでもそういうエピソードを話す機会はありましたが、今回は網羅的に、たぶん十数人にまつわるエピソードを話しました。
Ntくんは約50歳とします。不登校情報センターの当事者の会(居場所)に固定的な場ができていた2000年以降のいろいろなエピソードをよく記憶しています。私の知らないことも多く、また知っていても彼の目から見た様子を話してくれます。
現在(2018年以降とします)の居場所は数人が個別に来るだけで、当事者同士で話し合う場ではありません。ただ1998年から2017年までの約20年近い間のひきこもり当事者中心の居場所は、きわめてまれなものであったと回想できます。
中国の宋代に『水許伝』という小説で描かれた梁山泊(りょうざんぱく)と少し似たところがあります(私の妄想?!)。豪傑英雄は1人もいませんが、多くの個性ある人がいました。整列した秩序立った集団ではありませんが、それぞれが自分の距離感をもちながら(しかしときどきそれを踏み外したりして)、互いに平穏な場をつくっていました。体験した経過も違い、若干の性的少数者も混じる男女で、年齢幅はかなり広い人たちがこの状態をつくりました。
私の役割は場の設定者でしたが、これという場の条件を定めてはいません。数人がアニメや映画を話題にし、自宅で描いた絵などをもってきて(遠慮がちに)見せてもいました。場の運営として特別のプログラムはありません。協力して参加した数人のカウンセラーさんが、学習会を開いたりしていましたが、参加は自由でした。
居場所の参加料金というのも、ときに会費制を謳ったこともありますが、払う払わないは各自任せという具合です。協力したカウンセラーさんには料金を設けたり、また定期的な学習塾にした人がいて塾料を設定した人もいました。有料パソコン教室を行った当事者もいましたが、会場費は無料でしたし、それで大盛況になるものでもありません。
「不登校情報センターを働ける場にしてほしい」という要望に応えて、DMやポスティングも行いましたが、そのほぼ全部の入金をその作業参加者に分けました。
資金面からみてこういう活動がどうして実現したのか? ほとんどが協力している学校など不登校やひきこもりの支援団体からのものでした。2001年~2005年の第一高等学院の時代には家賃は無料でしたが広いスペースでしたので光熱費がかかったので、他の場と費用負担は似たようなものでした。しかし、収入も支出もその活動量に比べると驚くほど小さかったことは確かです。私にとって1998年から2017年までの約20年間は、無政府的でありながら参加者の自主性によって平穏と安定が保たれていたおとぎ話のような時代であったと思えます。
こういう居場所であったから(ときには心理的な衝突もあったとしても)、各自がそれぞれ自分らしさを発揮したのではないかと思います。日本の各地でいろいろな居場所が試みられおり、私なりの感想を言える根拠になっています。不登校情報センターの居場所が最高のものというのではありません。それでも人間が自由になるときの姿を想定できると思えるのです。
Ntくんは、そのそれぞれの瞬間のことをよく覚えていて話してくれます。Ntくんと話したのは、この日は十人余でしたが、話していくごとに別の人の名前が浮かびます。それで、これからしばらくはこのあたりをテーマにして話しを続けていくことにしました。おそらく30人から50人の人が話題に挙がるでしょう。
個人名が出るので、発表はできないかもしれません。作業費の支払いなどは記録があり裏づけられるでしょうが、それらにもあまりこだわらないことになるでしょう。これまでもいくつかのテーマで発表したものもあります。3冊の本も発行しています。
『引きこもりと暮らす』(東京学参,2003年)、『ひきこもり 当事者と家族の出口』(五十田猛,子どもの未来社,2006年)、『ひきこもり国語辞典』(時事通信出版局,2021年)を発表し、それぞれ関係することが書かれています。それらとの厳密な照合も気にしないでいきます。
1つだけ確定的なのは全体の時期です。
1995年9月に不登校情報センターの名前は生まれました。当事者の居場所(集まり)はその後自然発生的に生まれましたが、事務所を固定した①大塚時代(1998年9月~2001年6月)、 ② 新小岩に移転した第一高等学院時代(2001年6月~2005年8月)、③ユートピアマンション時代(2005年8月~2013年8月)、 ④ 平井転居後のさくらコーポ時代(2013年8月~2018年8月)の4つの時期とします。
今度思い立ったことはNtくんの記憶をよびおこし、それによる私の記憶も引き出すことです。そうすることで「無政府的でありながら、参加者の自主性(自然なふる舞い)によって平穏と安定が保たれた、おとぎ話のような時代、場所」を見直そうと考えています。 

不登校情報センターの居場所時代(企画)」への1件のフィードバック

  1. 不登校情報センターの居場所について、ある人から感想が寄せられました。同意を得られましたら、ここに載せたいと思います。松田

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