高田馬場に行ったついでに古本のブックオフに寄り1冊を買いました。R.ハイルブローナー『入門経済思想史』(The Worldly Philosophers:八木甫・ほか訳,ちくま学芸文庫.2001)。文庫本とはいえ500ページを超えるし、古本とはいえ税込1000円を超えます。最初のあたりを拾い読みするうち何かがひらめき、買いました。
話は変わります。私が大阪市立大学経済学部(夜間)に入学したのは1964年、17歳のときです(8月で18歳)。大学には数年在籍したのですが、授業に出たのは全部で30時間もなかったでしょう。1年生の終わりに試験があり、ほとんどの教科は欠席でしたが、1つだけ試験を受けたのが佐藤金三郎先生の「経済原論」です。問題は「労働力の商品化」でした。B4大の紙1枚が回答用紙に配られ、学籍番号と名前を書き、回答という自分の意見を書きました。
問題は意外ではありませんでしたが、これが大学の試験かと妙に感心しました。ほぼ全員が勤労学生でしたので、佐藤先生は昼間の学生の回答とは違う何かを期待したかもしれません。どういう回答を書いたのかはちっとも思い出せませんが、何を書けばいいのか困るものではありませんでした。
『入門経済思想史』のはじめは、近代資本主義が労働力の商品化、それとならんで土地の商品化が表われはじめた時代を描き始めていました。大学時代には、当然のことですが、「労働力の商品化」の意味を、この本に書かれている視点からは見る目はありません。
著者は1776年にA.スミスが『国富論』(the Wealth of Nations) を書く以前の状態を描いています。現代なら学校を終えた人たちの多くは企業などに就職するのが当たり前です。しかしそれは大昔からそうではなかったし、イギリスだけでなく日本もまたそうでした。江戸時代には商店や職人などが丁稚(でっち)奉行する仕方は広がっていましたが、——それは後に賃金労働者になる萌芽的でありました——近代の労働者ではありませんでした。
「それまで何世紀ものあいだ、世界は伝統や命令という居心地のよいお定まりのやり方でうまくやってきた…。それが、こうした何も心配もない状態を放棄し、代わりにうさん臭くてわかりにくい市場システムとやらを受け入れ」(P29)たのです。物品が商品になるように労働力も商品になる時代がきたのです。
話をもう一度脱線させましょう。近代以前には、働く人(全成人といっていい)への給与のような支払いはありません。それらの人たち(多くは農民)から税を集める役割をしたのが国(くに)でした。農民は生産物の半分(地域や時代や生産物により違いはある)を、税として徴収されました。人々は残りで生活をしていたのです。国(国家)はなぜそれを徴収できるのか。ここでは省略しますが、単純に暴力・強制によるだけでは言い尽くせないとしておきます。
さて脱線から戻ります。一定の給与をもらってある事業所で生産的活動に従事する形の労働者は、以前にはいませんでした。それが可能になったのは、社会状態の発展によります。A.スミスはそれが最初に表われたイギリスでそれを目にしたのです。耕作地を追われ土地を持たない人が生まれました。その人たちを受け入れる生産事業所で働く場が開かれ、土地を持たない人(土地から自由な人)は自由な意志で働く場を求めました。そうすることで生計を得、生活条件をつくったのです。
この人たちは奴隷ではありません。奴隷にはそのような自由はありません。全人格ごと奴隷主の所有物でした。この人たちは誰かが領有する土地の従属物でもありません。すなわち農奴とも違いました。奴隷でもなく農奴でもない。全人格ごと所有されるのでもなく耕作地に縛られてもいません。土地からの自由と仕事先を選べる自由をもった、二重の自由を持つのが近代的労働者です。自分の労働力を雇用主に売る、労働力の商品化はこうして実現しました。佐藤金三郎先生の「労働力の商品化」設問への回答の主旨がこれです。
私はあの試験の回答をおおよその意味でこれを書いたはずです。しかし、今回この本でおやっと思うのは、回答した当時はこの社会状態に気づいていなかったと思えたことです。それは日常であり、特別の意味づけではなく、くり返され表われ、意識されていませんでした。A.スミスは、それを掘り起こして記述したのです。
ひらめきはここでした。日常にありふれており、そうであるだけにさして重要性に気づかないものがある。「主婦の家事労働」もそれではないか。それは慣習であり、自然にくり返され、疑われず、それでいてこれという定式的な価値判断からは外されています。