伝統的な地域共同体にある入会権のほかに、日常の住民の協力関係は結(ゆい)といわれ、今日でも続いている地域はあると思います。現代風にはボランティア活動であり、今では特定地域内だけでなく災害発生時には全国的な動きになります。これらの動きもGDPには反映されない人間の生産的な活動になります。
これまで記したようにGDPに反映されない人間の活動、とくに生産的活動は多様にあります。他にも知らない・気付かないことがあるかもしれません。
ところで私がこれらのうち、家事労働、とりわけ健康や生命にかかわるケア労働、エッセンシャルワークを重視しますが、その場合は別の要素も考えなくてはなりません。
北海道ニセコ町の「広報ニセコ」2023年10月号に、ニセコ生活の家の記事がありました。生活の家は1978年に設立された障害者の入所施設であり、利用者は「40年の年を重ねても…「若者たち」」とよばれています。その生活の家の原則はこうです。
《・地域のなかで、家族や仲間とともに生活する。
・「障害」の種類や程度により、分けない。
・生産性を問わない。生きることがその人にとって「労働」であり、「仕事」である。》
この原則は誰かがその場の思いつきで言ったのではなく、この施設の長い運営のなかでたどり着いたものです。
外からみると「まあそういうところもある、あってもいい」と思う人もいるでしょう。しかし私には現実と経験に則したものの見方の出口が示された気持ちでした。いつのことが思い出せませんが、一人の男性が自嘲気味に言った言葉です。彼の次の言葉にどう答えますか? 『ひきこもり国語辞典』にも載せたものです。この重い言葉に応える考えの出口です。
「何もない 本当に何もありません。30歳を超えているのに学歴がない、才能がない、お金がない、資格がない、友達いない、彼女いない、家族がない、実家に帰れない、眠れない、頼りない、おもしろくない、どうしようもない。あるのは寿命だけです」
これを聞いてどう思いますか? 特に言うことはない、手は出せない…と彼に続けて「ない」を続けますか? それとも肯定して「全然ダメだよね、取り柄はないね」と追い込みますか? 肯定ではなく否定的に「そうじゃない、いつか何か見つかる」とでも言いますか? そう反論しても具体的な論拠のないその場かぎりの空文句になる自分に気づくのではありませんか。
ニセコ生活の家の原則は、ここに気づかせてくれます。これは人の活動を「Doing」ではなく「Being」を認めることではないでしょうか。ニセコ生活の家では「生きることはその人にとって労働であり仕事である」といいます。「何もない」という彼の言葉の終わりは「あるのは寿命だけ」、この点です。
私は、GDPにカウントされない人間の活動を加えることにより、社会のゆたかさを計る新しい尺度を想定しています。「Being」をこの範囲に加え、深追いすればこのテーマから外れて人生論や精神哲学の世界に入るかもしれません。それは本意ではないので目標をしぼります。このテーマを経済事情、経済学や社会学の視点で考えられる範囲で追求していくつもりでいます。「何もない」への答えはその後にするしかないほど難しいのです。
そう心得た上でここでは「Being」に関することを考え始めましょう。
私は医療機関勤務の時期が16年あります。“病気”は、人体を教えてくれます。どこかが病むとそこから体の内部を考えさせ改善を図る…病人の役割の一端をそう考えたこともあります。間違いではないですが冷酷すぎる面があります。亡くなった人のいる(大学病院の)霊安室の場を見たこともあります。悲しい残念という気持ちとともに言葉にしがたい静かな厳粛性も感じました。これが宗教性になるのかもしれませんが、ここも深追いできません。
目標に定めたのは人間のBeingにかかわるケア労働です。ケア労働はエッセンシャルワーク(不可欠な労働)であり、(経済学ではいささか無感情にサービス業の1つとされますが)なかなか奥の深い情動あふれる要素が含まれています。
そして社会は今、とくに先進国と言われる諸国では、日本も含めて全体としてケアワーク重視の世界に向かっています。コロナ禍がそこに気づかせてくれたわけですが、もっと大きな流れは前から始まっていました。意図的にそうしているよりもそうせざるを得ない背景事情があります。経済学の言葉でいえば資源集約的分野から労働集約的分野に向かわざるを得ないのです。いくつかの角度からこの部分を書き進めます。
私は経験を重視する人間であり、自分で感じたことを織り込まないと、“ソレ”を表現しづらい人間です。労働集約的なケア労働で私が実際に関われそうなのは介護でしょう。介護施設を実体験したいと思うのはそのためです。