中学生や小学生のなかで不登校の子どもが増えたのは1980年代の中ごろ以降です。教育雑誌編集部にいてその手の情報が学校現場の教師からよく聞かれるようになりました。
雑誌の特集で不登校に関することを載せると、それまでと違い多くの母親たちから問い合わせや、相談などが寄せられました。主な雑誌購読者の教師には見られない反応です。
しばらくしたら不登校の親の会や相談室、それにフリースクールが徐々にできました。この3種類はセットのようなもので、相談室やフリースクールが親の会をつくったり、親の会が相談室をつくったり、子どもの居場所やフリースクールをつくったりする関係でした。
このような動きは、不登校に関する周囲の人たちのごく自然な動きとしてみていました。1991年に不登校専門の季刊雑誌『こみゆんと』を創刊した後は、これらの団体やグループからいちばん多くの情報を伝えられてきました。1992年4月にはその特別増刊号『登校拒否関係団体全国リスト』を発行したのはその結果でもあります。このような親の会、相談室、フリースクール動きが、社会的な対応になると考えてきたのです。
2000年代に入ったころでしょうか。大学の心理学部への入学希望者が増えている感じがしました。実際はどうなのかの数字的な事実把握はしていませんが、心理学を学ぶ大学生や、さらには高校生からも話しかけられ、取材(?)みたいなことを受けた記憶があります。
やがて親の会を主催していた人に心理相談室を開設する人もいました。心理学ではなく、教育や福祉やあるいは就労に関わる人たちもいて、相談活動に関わる人が増えていると思いました。
その一方で、これは90年代の終わりごろですが、心理士が公的資格として認められない、それに対して民間の研究団体等が協力して、臨床心理士の資格制度ができました。当時すでに、この分野では産業カウンセラーや教育カウンセラーが活動していて、そういう人たちとも関わりをもつことができました。
ただその人たちの様子をきくと、主婦の起業であったり、兼業や副業であったり、必ずしも安定的な職域としては確立していないという漠然とした思いはありました。その一方で心理学の専門家としてTVなどに登場する人もいて、全体をよくつかめないままの時間は過ぎました。キャリアコンサルタント、精神保健福祉士の動きはより職業的な動きと感じていました。
不登校情報センターは支援団体の情報集めを、1990年代の初めから始めており、2004年からはそれを中心とするサイトを製作・運用し始めました。心理相談室だけでなくフリースクールも、親の会も含む不登校・ひきこもりの支援団体の紹介ページです。2005年に『不登校・引きこもり・ニート支援団体ガイド』を発行しており、そこで集めた情報をサイト制作に生かしたものです。
この情報収集と更新は、断続的に続いていたのですが、連絡がとれなくなる(特にFAX)ところの割合は心理相談室が多かった気がします。休業しました、廃業しましたという連絡も心理相談室が多かったのです。そういうことを通して、心理相談室を独立の事業として続けるのはそう容易ではないと予想できるようになりました。
ある思いつきがあり2023年の3月に都内と周辺県の数十の心理相談室に案内をしました。心理相談室には住所を表示していない所、FAXがなくメールのところなどいろいろあったのですが、その結果は驚きのものでした。この時期は3年余のコロナ禍が終息に向かう時期でもありましたが、休業・廃業のところとともに、案内が届かない(所在しない)ところがかなり多いとがわかったのです。調べていくと移転した所もあるのですが、多くはそうではありません。
どうすべきか対応策のないまま半年ほどすぎました。不登校情報センターのサイトに紹介している心理相談室に「所在しない」所が多いというのは、サイトの信頼性に関わります。どうしても改善しなくてはならないのです。
しかし、「所在しない」所を削除すれば十分というものではありません。ある必要があって生まれた心理相談室の定着化が低いと考えて対応したいと考えたのです。そこで、心理相談室として継続が続いている医療機関の心理相談室、大学(心理師の養成機関)の心理相談室を除いた、独立開業型の心理相談室に的を決めて実態調査から始めようと考えたのです。これまでになく複雑であり、難題であり、そして時間のかかるものです。11月中頃から始めています。
アンケート調査の項目は別紙のようですが、国の産業サービス業の1つとして成長させる視点が必要であろうと考えています。公認心理師は(臨床心理士も)、基本は大学院卒を条件としているのですから、適切な条件整備がないと、おかしなものになりかねないと思います。