高度経済成長による経済社会の変化のうち、産業経済部分につづいて社会の分野に言及しなくてはなりません。多くの面に及ぶのですが『日本経済史1600-2000』から次の点を紹介します。
① 人口移動
② 個人消費の伸び=住宅開発、核家族
③ 家庭用電化製品の普及
④ 商業の発展=大型スーパー
⑤ 高校進学率の上昇
⑥ 衰退産業=繊維工業(重化学工業)、石炭(石油)、農林業
*第6章の著者は牛島利明。引用文には孫引き・要約もあり出典が示されています。煩わしいですがそのまま転載しました。
これで全体を示しているわけではありませんし、工業発展とともに公害発生などのマイナス要素が加わります。家族の状態変化は人口移動、核家族化と直接に結びつきますが、『日本経済史1600-2000』では深く入っていません。鉄道事情も同じです。
上に挙げた①~⑥の様子は、ニュートラルな客観的な推移としてみることができます。具体的な記述を順に見ていきます。
① 人口移動——太平洋ベルト地帯、都市と農村の所得格差の拡大
「大量の若年労働力が農村部から都市部に流入し、工業部分における急速な労働需要の増加に応えたこと、また同時にこのような人口移動の結果として世帯数が急増し、所得上昇とあいまって耐久消費財にたいする需要を急速に押し上げたことにあった。
高度成長が始まると、東京圏・関西圏・名古屋圏の3大都市圏を中心とする太平洋側の地域(いわゆる太平洋ベルト地帯)を中心に工業が発展し、農村部から都市部への大規模な人口の流出が発生した。工業部門の生産性上昇にともなって賃金が上昇したことにより都市部と農村部との所得格差が拡大し、これが若年層を中心とする人口移動を促したのである」(P265)。
② 個人消費——ゆたかな社会を実感する
「工業部門における賃金の上昇は労働者の所得増加をもたらして個人消費の伸びを牽引した。技術革新と競争によって耐久消費財製品の価格は低下しつつあったから、1950年代後半には「3種の神器」(冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビ)に代表される電化製品の価格が一般家庭の手の届くところまで到達することになる。また、若年層を中心とする急激な都市への人口流入は、都市部における単身世帯、核家族世帯を中心に、耐久消費財を購入する単位となる世帯数の増加をもたらした。さらに、家計の貯蓄率の上昇は金融機関を通じて企業の設備投資資金をまかなった。つまり、所得と貯蓄率の上昇、技術革新と量産体制の確立による製品価格の低下、そして世帯数の増加という複数の経路を通じて内需の急速な拡大が生じ、経済成長を支えるもう1つの循環が働くことになったのである(吉川1997:138-141,149-152,中村1993:249)」(P267)。
〔私事〕私は1964年、高校卒業とともに田舎から大阪に出て働き始めました。初任給は15500円で高校にきた就職案内の初任給の最高額でした。1974年、10年後に退職時の月給10万円(約6.5倍)です。これには毎年の基本給のベースアップがあるので、1974年の初任給は6万円前後(約4倍)と推測されます。
大学病院の事務職員として多くを経験しました。夜間大学に籍を置きましたが、かなり忙しく残業も多かったです。忙しく働き、よく学びました。よく動き、よく眠る無我夢中の生活です。浪費家ではないですが、必要と思う社会活動に金を使い、資産は何も残せませんでした。交通費と本代の支出が多かったと思います。土曜の半日就業が週休2日になりました。窓口計算が算盤から計算機になりました。コピー機(ゼロックス)が導入され、給与は手渡しから銀行振り込みになりました。
個人事情を離れた周囲の環境も大きく変わりました。駅改札の駅員がいなくなり自動改札が進みました。地下鉄網が広がり、東海道新幹線ができました。各人さまざまな様子でこの時期の変化を思い出すことができるでしょうが、これが私の場合です。③以下の項目で全容の一端を知ることができるでしょう。