「社会的ひきこもりの起源」を書くために、経済社会に関係する本をいくつか読み進めています。『食の歴史と日本人』(川島博之、東洋経済新報社、2010)のノートをとるうちに本筋とは離れますが、私とわが家に関するエピソード(?)を盛り込んだ雑文を書きました。「社会的ひきこもりの起源」のこぼれ話として紹介します。
眷族(けんぞく)とはより平たく言えば一族郎党でしょう。こうきくといくぶん不穏な集団に響きますが、原生林の開拓団の多くはそうでした。明治になって北海道の原生林や荒地を開拓した集団はそういう人たちではなかったですか? 江差にニシン御殿を建てるまでに漁業開拓した人たちもそういう集団ではなかったでしょうか。
さらに北上して、ロシアとの和親条約により日本人が住めるようになったカラフト(樺太=サハリン)に出かけた集団もいます。私の祖先はそのような一団でした。信憑性に自信はないですが、サハリン島南部の地域、樺太県真岡郡姉内地区(ユジノサハリンスク)でアニワ湾から東側のオホーツク海まで他人の土地を通らずに行けた、という話を聞いたことがあるような(?)。私の子ども時代、田舎に開いた商店の屋号は樺太屋でした。
これは日本に限ったことでも、近代に限ったことではありません。古代中国の屯田制度なども未開拓地に武装して入った農耕民でしょう。
日本では古代からありました。平安末期から鎌倉時代には武士集団による東国(関東)の開拓を行ったのはこのような開拓民であったと思われます。その集団が開いた関東を地盤に、鎌倉幕府=武家政治の時代が開かれたのです。
アメリカに関することで思い出すのは映画です。南北戦争後の19世紀末のアメリカの開拓民の争いを描いた映画「Shane」は1963年に上映され、私が高校生のころ田舎の映画館で見たものです。最も苛烈であった原住民インディオ(ネイティブアメリカン)との闘いではありませんが、開拓農耕民と放牧型の畜産業者の争いでした。アメリカ合衆国政府が開拓農民の土地所有を保証する法律を制定する中で、土地所有が不明確な畜産業者が反撃に出ました。いささか以上に暴力的なやり方でしたが、この時代は裁判制度が十分に整わず、一方では従来の個人対決型の決闘が合法手段でした。集団暴力は禁止されていたのですが、決闘は認められていたのです。
畜産業者は決闘用に専門のガンマンを雇いました。そこに登場したのが銃の名手Shaneです。特に農耕民に頼まれたわけではないのですが、成り行き上このガンマンとの決闘に臨み、そして勝利し、この場から去っていく物語です。農耕民はこうしてこの地での生活を保証された(はず)です。
映画を見た高校時代にはこのような時代的社会的背景は知りません。先月YouTubeにあるのを見つけて、あの物語が理解できたのです。
さてここに挙げた開拓民集団、それに類する小家族集団は、江戸時代に進んだ小家族制を基とする眷族(けんぞく)とは同一のものとは言えないでしょう。川島博之『食の歴史と日本人』には出てきません。江戸時代につくられた小家族が「比較的近隣地域に居住し、本家を中心につながる利益協力的な血縁家族体」と理解し、それが開拓民になったときの状態を表わしたものです。いろいろな色合いがあるのは、歴史的条件、地理的条件の違いによるものと理解できます。
そしてこれらの全体が、地球を人間にとって住みやすくしていった時代、地質学上の新しい時代区分に「人新世」(ひとしんせい)を設けることになりました。人間の働きが地球に大きな影響を与える時代です。一 方では人間には住みやすく、他方では環境問題をひきおこし、地球を滅亡に向かわせていると心配させる事態になったわけです。人間はそのつどそこで直面した問題に取り組んできた。それが歴史であり、その末端の一粒が自分です。