さて1970年以降生まれの人たち——仮に不登校世代と称する——はまたひきこもり世代でもあります。なぜなら不登校が目立ち始めた1980年代半ばの数年後にして、ひきこもりが目立つ時代になりました。両者は事実上ほぼ同じ時代に生まれた同じ世代です。いや同一人物が不登校であり、ひきこもりであることは決して珍しくはありません。それはこの人たちにかかわる人がすでによく知っている事情です。
だから「不登校・ひきこもり世代」と言い直してもいいわけです。ある程度の規模に増えたのは70年以降に生まれた世代であることは確かですが、この終わりはいつまで生まれた人たちになるのだろうか? これは判定が難しいです。いまもまだ続いているともいえるし、大きな波はすぎ去ったともいえます。だから、いま判定はしないでおきます。
この「不登校・ひきこもり世代」はこの時代の生まれた人の一部を表わすのであって、その全体をさしてはいません。むしろ世代人口の中の少数者です。では不登校やひきこもりを経験していないこの世代の多数者は、従来と同じタイプの“普通の人”たちなのでしょうか? 私にはそうは思えません。
その全体像を描く自信はありませんが、次の点は指摘できませんか。個人の自由やプライバシーの保護に関心をもつ。家族の拘束や社会の古い体質からは逃れたいと思う。日本的特徴かもしれないが激しい攻撃的行動よりも穏やかな異議申し立てをする。
当然、個人差は大きいわけですが、この土台には日本が全体としてゆたかになったという社会的基盤が支えになっているのではないか。ひきこもりへの社会的な対応を考え、相応する制度を考える場合には、これらの点を考えなくてはならないでしょう。