私が教育系の出版社に入ったのは1979年のことでした。数年後(1982~83年ごろ)、先輩編集者の娘さん(高校生)が不登校になったと知らされました。不登校ではなく登校拒否という言葉だったのかも知れません。
教育系の出版社であり、多くの教師たちとの交流もあり、不登校というのはそのころときどき聞く言葉でした。むしろ校内暴力とか非行という問題が多くあり、教師たちはそれを生徒指導とか生活指導上の課題として話していた時期です。
それからまた2~3年後には、不登校(登校拒否)はかなり学校教育上の重要課題になっていきました。
文部省(文部科学省に変えられたのは2000年になってから)も、ようやく本気で不登校問題にとりくむ姿勢をとり始めました。全体としては、それは「いかになくすのか」という方向でしたし、各地の教育委員会では今もそうなっているところがあります。ちょうど校内暴力や非行を「なくす」方向で取り組んでいた延長のようです。しかし、文部省は数年後(1987~88年)「不登校はだれにでも起こりうる」ということで、少しスタンスを変えてきました。
私自身の気持ちでは、不登校問題は校内暴力や非行とは異なる点が気になっていました。校内暴力や非行の生徒たちは、特別の環境、家庭条件に困難があり、学業成績も思わしくない生徒に目立つ問題でした。対する不登校の生徒は、性格的にはおだやかで学業成績もすぐれている生徒によく表われている感じです。
といっても当時の私は、それらの生徒に直接にふれることはほとんどありません。周りにいる教師たちのいろいろな話をきくなかで知り得たことによる感想です。
しばらく後になって気づいたことですが、1980年代の半ばは、不登校の生徒が急速に増加に転じた時期でした。戦後からの流れをみると、家庭的事情による〔学校に通えない生徒〕が年とともに減少していました。ところが1980年代の半ば以降、学校に行けない生徒が増加に転じていたのです。
その不登校の生徒の中に、ひきこもり状態になる生徒がいたのですが、それがひきこもりを知るはじめでした。不登校が増え始めたのはまず中学生でしたが、やがて小学校高学年生にも広がりました。他方では高校中退の生徒も増大していました。高校中退は、いわゆる底辺校とか教育困難校といわれる高校に目立っていたので、どちらかというとそちら側に、すなわち学校側にも重要な要素があると考えられたのですが、やがてそうではないとわかりました。
実は不登校についても学校側に主原因があるといわれていたのですが、それも当たらないと思います。学校側に何も問題はないというのではありませんが、相手としてわかりやすい位置にいたのが関係します。全体として学校側に主原因を求めて追求する性格のものではないと明らかになりました。もちろん学校側の対応のまずさ、隠ぺいによるものもあり、それらは今もときどき表面化しています。
80年代の半ばに不登校の生徒が急増し、90年代に入ってひきこもりが増大しました。この事実をふり返ると彼ら彼女らが生まれたのは主に1970年代以降、とくに1970年代半ば以降の生まれであるとわかります。私が1990年代の後半から知り合いになったひきこもりの経験者たちは、ほとんどが1970年以降の生まれでした。
こういうことはある年を境にし、突然に表われるわけではありません。1960年代生まれの人もいましたが、それは少数です。私のばあいこれらは偶然的ですが、大きな流れとは矛盾していないのです。
さて、ひきこもりの中心は1970年代以降の生まれた人であるとするとその親はそれから20~35年前に生まれた世代に当たります。すなわち1940~1960年代生まれことになります。この世代は日本社会の戦後復興を担い、1960年からの高度経済成長を担った世代、団塊世代が象徴にされる世代です。
私はここに目を向け、その意味することを考え始めたのです。ひきこもりを、社会的経済的背景から調べる必要があると考え始め、その考える糸口になるのはこの世代問題であり、その時代背景です。
ひきこもりパラドクス