不登校になる子どもたちの様子を長年見てきました。
優しいところがある、相手のことを気にして遠慮がち、人がどう考えるかを見届けてから自分はどうするかを考える、自分のことはあと回し…などです。
一言でいうと内向的であり周囲のことによく気付く。よく見え、よく聞こえ、嗅覚も鋭く感受性が強いと言えます。これらは先天的なもので、変えることはできません。
そういう自分に、友達や学校や時には家族という周囲の関係がうまく調整できないことがでてくる。周囲の友達関係など社会性が芽生えてくる思春期に不登校が増えるのはそのためです。
周囲の関係が上手くいかないとき、イライラして家族にぶつかるとか、部屋の壁をたたく。行動面に表われ方はいろいろですが、感受性の強い子どもに表われるのが不登校です。不登校は学校という社会関係の場面に表われるので、問題が大きなことになるのです。
このことを意識できればそれは自分の発見です。自分はどういうタイプなのか、どういうときに慎重になるのか、元気になるのか。あるいは何が得意で何が苦手なのか、そういうことを意識する、自覚する、そういう自分を知る手掛かりになります。
しかし子ども本人が直面する不都合と、自分の感受性がかかわっていることがよくわからない。学校に行けないが、それを説明できない。なぜ学校に行かないのか聞かれても答えられない。よほど心理学ができるレベルの中学生や高校生でないと説明は困難です。
家族は理由がないのに学校をさぼっていると思ったり病気ではないかと思う。子ども本人はさぼっているわけではないがそれを説明できないのです(いじめとか体罰とか部活での事件のときには主要なきっかけがわかることが あります)。
中学生や高校生の不登校は、こういう事情を早期発見する面があります。問題が発生したわけです。原因は子ども本人にもわかりません。直接的な理由はわかったとしても、根本的な原因はまだわかったとは言えません。不登校という事態の発生は意識して根本の理由を探せる手掛かりになります。
どうすれば原因がわかるでしょうか。子ども本人の感情、行動を周囲の人が規制せずに認め、受け入れるようになれば、自然に原因がわかります。ところが周囲の人はこのような自然を認めません。早く学校に行くようにするにはどうすればいいのかという目で子どもを見ます。子どもはその目を意識しながら振る舞いますから行動や言葉が制約されます。そのために原因が探せなくますます混乱することがあります。
根本を探すこととは、子どもの自然は成長を応援するスタンスになればいいわけです。それは解決していく方法と同じです。ですがここに到達するまでには時間がかかり試行錯誤を繰り返します。
家族など周囲の人にも問題解決の手掛かりがあるのはこのためです。学校に行かないことは悪いことではありません。特定の価値観から見るから問題になり、それを直そうとしてこじらせるのです。学校に行けないことを子どもが自分を知る機会にすればいいのです。子ども本人がそういう自分に合った生き方、過ごし方を学んでいく契機になれば不登校は不都合なことではありません。
これは28日(土)の不登校セミナーで話したことです。オバマ大統領が広島でのスピーチのとき、テキストを用意しているのをテレビで見ていました。それをまねてみました。セミナーが始まる前に急いでテキストを準備しました。ここに掲載したのはそれを少し訂正したものです。