居場所や訪問を考える上で、もう一人の30代男性Bさんの例は何を示すでしょうか。
Bさんは、これまで何度が働いたことがあります。しかし長く続かずに家にこもった時期がありました。
仕事から離れていた数年前には不登校情報センターの居場所に来たこともあります。しかし、1、2度で来なくなりました。そのあと家族への依存や支配的な状況が強くなりました。
このとき行政的な介在が必要な事態が生まれました。事態を収める方法として、一人暮らしをし、家族との連絡を遮断する措置がとられました。
日常生活を支援するために行政に代わって地域のNPOが間に入りました。
Bさんの一人住まいの部屋に私は何度か訪問したことがあります。小さな部屋ですがよく片付いており、食事や洗濯などを自分でよくこなしていました。訪問を受けるのに抵抗感はありません。
彼の望んでいたことは適当な仕事、とりわけ彼にとってストレスがない職場でした。彼には引きこもりとして見られることは心外なこと、抵抗感のあることです。居場所に通うこととはそう見られます。それを避けたいのです。
一人住まいを始めてからから2年近くなってBさんは再び働き始め、それから2年以上は続いています。
ここで注目したいのは行政機関の介在です。民間のNPOでは上手くいかないことが、行政機関が介在すると上手くいくことがあります。行政機関の担当者は特に何かをするわけではありません。
引きこもりの当事者にとって、それは受け入れやすいのではないかと思います。例えば不登校についてならば行政区の教育相談室、引きこもりであれば保健所などです。生活保護を受けるために引きこもっていた家族が区の生活保護担当者には顔を見せたという話しも聞いたことがあります。
引きこもり等の当事者にとっては、自分に何かをする人は必要ではありません。対して行政の手続きをする人は、当事者には会うのに納得できる理由を見つけやすいことです。当事者は自分に対してなにか操作的なことはしない、行政機関はそれが明確な場合があります。
Bさんの場合は最初にきっかけがあり、自動的・事務的に行政機関に対応をゆだねる形がありました。そのような行政機関との関わり方は気分的に楽であったと思います。
Bさんも居場所ではなく、就職になりました。ご両親はいつ辞めるのか心配はありますが、ひとつの山を超えたように判断できます。