私が不登校情報センターを設立したのが1995年の9月です。
翌年に通信生・大検生の会をつくりました。初めのうちは会場を借りてこの当事者の会を開いていました。3年後に自宅近くに小さな事務所を借りました。そこが当事者の集まる居場所になりました。当時は週1回の集まりでした。
2001年に当時の第一高等学院の好意により、新小岩の旧校舎を無料で事務所にすることができました。やがて連日のように引きこもり経験者が通ってくるようになりました。私はこれでも趣味は仕事ですから、自分の仕事をしながらこれらの当事者とともに生活する状態になりました。
2003年に書いた本のタイトルは『引きこもりと暮らす』です。そこは私の仕事場である不登校情報センターの事務所であり、それととともに引きこもり等の経験者の居場所になりました。移転後の2年間に不登校情報センターはそうなりました。
2005年に、約束の使用期間を大幅に超えていた事務所を近くのマンションの一室に移しました。運営資金が足りないので、自宅兼事務所にしましたが、同時に居場所になりました。引きこもりと暮らす状況はよりいっそう深くなったのです。
いつの頃からかははっきりしませんが、週3回は休日にしています。といっても日曜日に親の会が開かれますし、休日にも予約相談者が来ます。自分でこなす仕事はこの休日をあてますので、完全に休日というのは年に数回です。趣味は仕事ですから、支障はありませんでした。
昨年夏にさらに家賃の低いいまの場所に事務所を移しました。自室と呼べる部屋はありません。私にとって引きこもり等の経験者の居場所は、いまではすっかり私の住居と同じです。
私が展開する居場所論、居場所に関する感想や思いはこのような背景によるものです。職場のように自宅から出かけていって運営する居場所とは違います。日常が居場所のうえにあるのです。特殊であることを読み取りながら役立ちそうなことを持って行ってください。
引きこもり経験者の集まる居場所の運営、居場所づくりの方針・方向とは何でしょうか。それは来所する当事者が、自分なりの居場所にする仕方を助けることです(先日3月5日の「居場所の違和感を超えるには時間をかけて自分仕様にすること」)。
というわけであまりそれらしき運営規則はありません。社会常識によることが基準みたいなものですが、個人個人にいくつかの例外があるように思います。これは公表しませんし、公表はしなくてもばれているものもあります。
こうなったのは居場所のスペースの物理的な条件の中で全体との調整をみながら最大限の個人的なカスタマイズ(自分仕様)を容認することです。その人の自然な動き、日常性を生かそうとするとそうなってしまったものです。基本的に私はここに住んでいますから大きな支障がない限りそれらは許容できる範囲です。
それは確かに私の個人的な負担になることもあります。そうであるからまた引きこもりをいろいろな側面から理解する機会に出会ってもいます。詳しくは知りませんが人類学とかフィールドワーク型の調査はこのような形があるのではないでしょうか。引きこもり研究に適応したようなものです。
〔長くなったのでここらでいったんやめます。〕