勉強についていけないと放置!

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12月17日の「不登校はいつまで続くのですか」の中で「現在の学校の役割は学力に偏重しました。その結果、学習についていけない子どもを大量に生み出す場所になりました」
と書いたのですが、本当か? よくわからない、という話が出てきました。それをテーマに話したのではなく、別の話しの中で出てきたことです。
高校への進学率が95%を超えている、大学への進学率も上がっている、昔に比べてみんな勉強はしている。おおよそこんな感じを漠然と持っているのではないでしょうか。でもそれが相当に見かけ倒しであることもどこかで感じてはいませんか。

今年の年賀状に、ときどき電話をしてくるTDさんからのものがありました。年齢は30を超えている男性です。はがきにあった年賀の言葉をそのまま書いてみます(固有名詞はXXで示していますがひらがなです)。

あけましておめでとうございます
ことしもこんごともよろしくおねがいいたします
おわびのてがみもこめて
一報
XXXXXXのXXXXXXXXをきぼうしています
ことしこそはよいおとしに
せいしんかにかよいとくしゅなびょうきで
おやをなっとくさせおこらないかとも
かんじのじしんがない
中1レベル? 小学生

宛て先と自分の名前は漢字表記されていました。上に書いた文字がバラバラに一部は横書きになっています。社会生活ができない状態を納得させてしまう年賀です。TDさんはそれでも何とか自分の思いを表現しているのです。
この人の場合が特殊な例外ではありません。私はこの段階の人と事をいくつか見聞きしています。それぞれに特別な事情にあります。特別な事情がある人が排除されている社会になり、それは小学校やそれ以前から始まっていると思えるのです。
社会の受け皿が狭くなったと実感します。この1例をもって知育偏重の学校が、大量の勉強についていけない子どもを生み出していることの証拠にするには十分ではありません。
何らかの弱み、欠点、不自然さ…をもつ子どもは、学校や社会から振り落とされてしまうようになった、それをカバーする社会が消滅しつつある1つの実例に挙げることにできると思いました。
「現在の学校の役割は学力に偏重しました。その結果、学習についていけない子どもを大量に生み出す場所になりました」を肯定できる実例を次々に紹介できることは、嬉しいことではありません。他の実例を次々に紹介する気にはなりません。ですが事実をカモフラージュしていてはうまく行かないのではないですか。

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